第293話 日本人向きの、水の料理
お寺のごはん-Ⅲ
ある会で、ここに掲載している「お寺のごはん-Ⅱ」にしたがって、僭越ではあるが日本料理史のようなことを話させてもらった。
その内容は、われわれ日本人が料理らしい料理を作り始めたのは鎌倉時代からだ、みたいなことだった。
話の間に、席から「調理と料理はどうちがう?」という呟きがあった。
確かに、二つは似たような意味を持っているから、これから考えてみよう。
先ず汎用されている言葉を見ると、「調理=料理」の関係でありながらも、調
理師、調理室、料理学校、料理店、日本料理、西洋料理という具合に、「調理」は作るという行為に、「料理」は作った物の方に、やや比重がかかっているように思える。
もひとつ、「割烹」という言葉も調理=料理するという意味である。「割」は切る、「烹」は煮るの意であるから、切ることと、煮ることという和食の二大技法を表現した言葉であるところから、「和食店」を想像するのが一般的であろう。ところが、この「割烹」を「割」と「烹」に分離してしまうと、普通日本では切ることを割とはあまり言わないし、煮ることを烹としているところを見たことがない。
それもそのはず、この割烹も元は中国語で、亨(鍋)+火=烹(煮る)だから、《割烹=切って(割)煮る(烹) ⇒ 調理・料理》であった。
それを日本では、どちらかといえば《割烹= 1.切ることと、2.煮ること》と分けて、認識している。
実は、ここが私のいいたいことであるが、それは日本が割主烹従の料理をしていたから、そのように自分たちの都合に合わせて翻訳・活用したものと思われる。
と聞けば、「何だ、最も日本らしい料理が外国語で表現されているとは!」と嘆くことはない。時代は下って、寿司屋の「カウンター席」も最も日本的光景なのに、それをわれわれは英語で表現しているではないか。
もっといえば、「嵯峨野」とか「嵯峨天皇」という言葉も同じく最も日本的雰囲気を持っているものと思いがちであるが、この「嵯峨」も実は古の中国語であるらしい。とにかく、日本とは何でも吸収する国である、と思っていた方がいい。
だが、そんな日本の料理にも基本骨格はある。それが世界最古の土器「縄文土器」である。
それを語る前に「動物とちがって、なぜ人間は調理するようになったか?」という問題がある。それはたぶん火事などによる偶然の発見だろうが、1)調理した物を食べることによって効率的にエネルギーを摂取できるようになった、2)そうして摂取したエネルギーは頭脳で使われるようになった。よって【脳が進化した = 人類の進歩】とは、よく教科書なんかでも書かれていることである。
ところが、このことを説明するテキストに注目すると面白いことが分かる。たとえば英語の辞書には、「cook=熱を加えて料理すること」とあり、その熱を加えることの説明に「roast=肉を焼く、grill=魚を焼く、panfry=炒める、fry=揚げる、Boil=茹でる」としている様に「焼く」例が多数である。
要するに、欧米人の頭では「料理=焼く」という認識である。それがために焼くの英語表現も「bake, fry, grill, toast, roast, 」と豊富である。のに対し、われわれ日本人はこれらを一言で「焼く」という言葉だけで済ましている。
逆にわれわれは、水で料理する言葉は「煮る、炊く、茹でる、蒸す」と豊富である。対して、英語は煮る、炊く、茹でるを「boil」の一言で済ましている。(ただし、蒸すだけはsteam,)。
そのことに気付いたのが蕎麦打ちボランティアでサンフランシスコに行ったときだったから、『蕎麦春秋』に「水の国から火の国へ」とレポートしたことがあったが、この違いはたいへん重要ではないだろうか。
話を戻して、日本列島の縄文人も焼く・煮ることをやっていただろうが、そんな中で世界最古の縄文土器をモノにした。
ということは、世界で最初に鍋・釜を手にしていたということであり、世界で最初に煮る料理をものにしていたということにもなる。
そこでは獣肉より、魚介類を煮ていただろう。なぜかというと、「急流列島」の日本の水は軟水で、肉類を煮込むとアクが出ないため、獣臭さが抜けきれない。だから煮る料理が主体である場合、日本では獣肉を煮ることが少なかったところから、段々肉食も少なくなってきたとされている。
弥生時代になって、アジアの米栽培が日本列島に伝わって広がったのも、米を水で料理ことがDNAからも抵抗がなかったためであろう。といっても、最初の渡来時は米を蒸して食べていたようである。
話は逸れるが、「蕎麦は最初蒸していた」と言うと、「エッ、そうなの」と驚かれるが、それは特殊なことでもなんでもない。伝来した当初はソーメンも蒸していた。
米も伝わったばかりのときは蒸していた。その遺品が〔おこわ〕である。
とにかく、最初はそうでも縄文時代から、煮る料理を得意としていた日本人は、米もソーメンも蕎麦も、炊いたり茹でたりするようになった。そのための、釜や鍋や窖も伝わってきた。
ちなみに、釜(日本語で「かま」←韓国語で「カマ」)、鍋(日本語で「なべ」←韓国語で「ナムビ」)、窖(日本語で「くど」←韓国語で「クルドク」)、蒸籠(日本語で「せいろ」←韓国語で「シル」)は韓国から伝わったといわれている。その韓国語の元は何かという問題もあるが、とにかく米と、それを水で煮る道具が海外から伝来し、抵抗なく受け入れられたことは事実である。
やがて飛鳥時代になると、天武天皇の時代には田・稲・米中心の社会になってから、ご飯が主食となり、米を煮る(炊く)こと、つまり「炊事」が、食事の支度全般を指すようになり、「ごはん」が食事全般をも併せて言うようになった。
そんな日本人だが、どういうわけか膵臓が弱い。だからインスリン分泌能力は欧米人の半分以下、つまり高脂質、高蛋白質の食生活に耐えられない。
こうしたわれわれの体質が、肉料理を避けたのか、それとも軟水による煮炊き料理が、こんな日本人の体質をつくったのか? 縄文のヴィーナスに訊いてもご存知あるまい!
参考:第293話「お寺のごはん-Ⅲ」、第287話「お寺のごはん-Ⅱ」、第284話「お寺のごはん-Ⅰ」、「‘食’を科学する!~人はなぜ調理するのか~」(Eテレ『地球ドラマチック』)、「江戸ソバリエ サンフランシスコで蕎麦を打つ~水の国から火の国へ」(『蕎麦春秋』vol.2)、
〔深大寺そば学院 學監 ☆ ほしひかる〕