<コンビ二創業戦記・別伝>「DCVS回想録」第5回

      2017/01/27  

<未曾有の東日本大震災に際し、全ての被災者の皆様に、

衷心から、弔意とお見舞いを申しあげます。

また、救援活動に当たっておられる関係者の皆様に、心から感謝し敬意を表します。>

<日本フランチャイズチェーン協会活動の思い出>(その1)

「日本フランチャイズチェーン協会について」

日本フランチャイズチェーン協会(JAPAN FRANCHAISE ASSOCIATION<略称・JFA>)は、昭和47年(1972)4月に設立され、概ね40年の歴史を持つ社団(公益)法人である。

その設立目的は、「日本における適切なフランチャイズシステムの健全な発展をはかり、流通に係わる企業の経営水準の向上と、流通の合理化に寄与する」というものであった。

設立時点における会員数は、正会員13社、準会員2社、研究会員2社、総計17社であったという。

それが40年後の現在、2010年度の協会調査では、正会員104社、準会員5社、研究会員92社、会員総数201社となり、日本のフランチャイズビジネス市場も20兆円を越える規模に達して居ることは衆知の通りである。

日本におけるフランチャイズビジネスの幕開けは、昭和40年(1965)代初頭といわれるが、協会発足時、会員社はフードサービス・チェーンが中心であった。

やがて昭和50年代後半(1980年代)以降は、コンビニエンスストア・チェーンが台頭、急成長を遂げ、協会主要メンバーとなり、日本流通の主役の地位を占めるようになっていく。

更に、各種のサービスビジネス・チェーンなどが誕生し成長するというプロセスを経て、今日の日本フランチャイズチェーン協会の隆盛がある。

「経済民主主義の理念」

私は、サンチェーン創業の頃、故・渥美俊一先生が提唱された「チェーンストア流通革命理論」に傾倒した。

渥美理論は、戦後日本の暗黒大陸とされた流通分野を、アメリカ流のチェーンストア産業を導入・構築することによって近代化し、日本の流通構造の仕組みを、「生産者主権から生活者主権へ」と変革して、真の「経済民主主義」を実現しようという壮大なものであった。

渥美先生は、流通革命の主導エンジンを、レギュラーチェーンの巨大企業化に強く期待されていた。

フランチャイズチェーンには、当初、余り高い関心を示しておられないように見受けられた。

だが今日、巨大レギュラーチェーンは、往時の勢いを喪失しているが、フランチャイズ市場は、更に巨大化しており、今後も海外へ、国境を超えて大きく成長していくだろう。、

渥美先生は、「経済民主主義」について、「かつての王侯貴族の暮らしを、一般大衆・庶民が、誰でも毎日味わえるようになることだ」、とよく譬えられた。

それは「生活民主主義」というべき意味であったかもしれない。

私は「経済民主主義」には、三つの意味が含まれると考えている。

一つは、「産業民主主義」であり、大企業と中小企業の共存共栄、組織と個人の共生であり、ヴェンチャー・ビジネスの輩出による産業活力の醸成することである。

二つは「経営民主主義」であり、企業内における経営と労働、チェーンにおける本部と加盟店との共生、共創、共栄を実現することである。

三つは「生活民主主義」であり、企業と顧客、地域、環境、行政等との共生の実現である。

この「経済民主主義」の三つの理念の実現には、大きな現実の壁があり、非常な困難が伴うけれども、ある意味で、永遠に追求し続けるべき人類的理想とも云うことが出来よう。

日本フランチャイズチェーン協会が、この理念そのものをを明示的に表明しているわけではないが、フランチャイズシステムのそもそもの本質には、この理念的機能が、可能性として、潜在的に埋め込まれていると、私は考えている。

フランチャイズチェーンシステムこそは、この理念を、最もよく具現化することができるビジネス・フォーマットである、と確信するものである。

日本フランチャイズチェーン協会が、協会倫理綱領などを制定して、日ごろから日本におけるフランチャイズシステムの進化・向上に努めてきたことはその表れといえよう。

私が、日本フランチャイズチェーン協会に加盟することを決意したのは、昭和50年代後半のサンチェーン時代のことであった。

私は、加盟してから、駒井茂春会長(昭和62年~平成元年)、鈴木敏文会長(平成元年~3年)時代に理事に就任、沖正一郎会長(平成3年~5年)、嘉澤脩成会長(平成5年~7年)時代に副会長を勤め、黒川孝雄会長(平成7年~9年)、後藤茂会長(平成9年~11年)時代に常任理事となるなど、日本フランチャイズチェーン協会の発展と共に、長年、歩みを進めることができたことは、誠に幸甚であった。

<総会で挨拶する理事会メンバー>

沖正一郎会長の時代には、協会設立20周年を迎え、いろいろな記念事業を開催したが、中でも、「21世紀の主役・われらフランチャイズ・ビジネス」をテーマにした記念シンポジュームに、パネラーとして参加したことは、特に記憶に残っている。

別掲・写真の通り、コーディネーターはフランチャイズチェーン協会顧問・奥住正道先生、パネラーはダスキン・駒井茂春会長(当時)、、ケンタッキー・フライドチキン・大河原毅社長(当時)と私の3人で、お互いのフランチャイズ・ビジネスに対する思いを、熱く表明し合うものであった。

<設立20周年記念誌>     <記念パネルディスカッション写真>

広範な協会活動の中で、特に私が関わっものに付いて、幾つか挙げておきたい。

「防犯研究会と環境対策委員会」

その間、協会の理事会や年次総会などの公式活動のほかに、フランチャイズビジネス特有の共通課題に付いて、防犯研究会や環境対策委員会などの部会活動を通じて、会員各社の皆さんたちと、現状把握を行い、意見を集約、協会としての方向性や具体的施策に付いて立案して、通産省、厚生省、警察庁、警視庁や東京都庁など、関係官庁との調整・接渉などを重ねたりした。

「防犯研究会」は、その頃、コンビ二強盗が多発して連日,新聞やテレビで報道され、24時間営業に対する厳しい批判を浴び、注目を集めていたから、如何に効果的な防犯対策を組み立て、如何に加盟店の防犯意識を高め、如何に店頭現場に素早く具現化するか、が問われていた

「防犯研究会」では、毎月一回定期に集まり、各社の情報交換を深め、、お互いに智慧を出し合い、直ぐ出来る事は何か、時間をかけて取り組む課題は何かを、次々と検討していった。

具体的には、「店頭現場での防犯意識の向上」、「お客様の顔をキチンと見て挨拶することの励行」、[売り場の整理整頓」「金銭管理の厳格化」など、基本マニュアルの徹底に先ずは注力すること共に、防犯機器類の積極的開発・導入や警察との蜜接な連動を深めること等が話し合われ、実行に移されていった。

コンビ二犯罪抑止を目的に、警視庁の肝いりで、東京コンビ二防犯協会が設立され、私が初代議長を務めた。

<東京コンビニ防犯協会のみなさん>

そこでも、防犯意識の向上や具体的防犯施策の推進が確認されたのである。その後、全国的に、県や市、区など地域単位にも、コンビ二防犯協会が作られるようになっていく。

今日、コンビ二の防犯体制は、ハイテク監視システムや店内防犯管理システムなどが極めて高いレベルで整備されて、コンビ二は今やある意味で、地域の防犯拠点(セイフテイ・ステーション)ともみなされるようになっているが、その頃からの長期にわたる、弛まぬ改善の努力が、地道に積み重ねられてきた成果であるといってよいだろう。これからも、時代の進展と共に、終わりのない努力が求められる重要な課題であると思う。

「環境対策委員会」は、リサイクル法が制定・施行される事を契機として、平成3年(1991)6月にスタートした。

環境対策委員会では、ゴミ・食品廃棄物処理問題、物流と大気汚染問題、水質汚染問題、省エネルギー・省資源問題、更に加盟店への啓蒙問題など多岐にわたるテーマが語り合われることになった。

その積み重ねの中から、次のような「JFA環境対策行動指針」が生まれた。

「JFA・環境対策行動指針」は、

Ⅰ・JFA会員企業は、地球環境に優しい企業体を目指そう。

Ⅱ・JFA会員企業は、廃棄物の削減、省エネの具体的計画を立て、実践しよう。

Ⅲ・JFA会員企業は、地域社会や行政の要請に迅速に適応しよう。

というものであった。

さらに、環境対策先進企業から学なぼうと、相互の取り組み状況を発表し合い、現場見学なども行った。

そのような活動を続ける中で、PETボトル等のリサイクルシステム、資源ごみ・生ゴミのリサイクルシステム、コンビ二物流の環境負担の大幅軽減システム、買い物袋の大幅削減、、エネルギー消費の低減などの有効な環境対策が、徐々に具体化され、システム化されて、今日に至るのである。

当時は、環境基本法制定の気運も強まり、国の政策として環境対策がいよいよ本格化し始めた時であったから、フランチャイズチェーンとしての環境対策が、「単なるスローガンの時代」から、「如何に具体化し実践するかの時代」を迎えていたのである。

(フランチャイズ・フェアにて各社の環境戦略を語る)

これらの部会活動は、やがて「コンビ二部会」という形で、コンビ二特有の課題を専門的に検討する独立した機能へと発展し引き継がれていく。

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