第99話 江戸のやつらが
蕎人伝⑨小林一茶
☆俳諧師一茶
江戸ソバリエさんは1000人以上もいらっしゃるから、いろんなお名前をお見受けする。イワシタ シマさん、ナカザワ ユウコさん、ハシヅメ コウさん、ミシマ ユキオさんなど・・・・・・。
でも、信州で小林一茶という方にお会いしたときは「ン!」と絶句してしまった。
というところから始めたいが、もちろんそのときの小林一茶様とこれから述べる俳人一茶とは何の関わりもないことを冒頭にお断りしておく。
蕎麦の花 江戸のやつらが 何知って
一茶の句であるという。強烈である。「鄙の叫び」が感じられる。
名月を とってくれろと 泣く子かな
われと来て 遊べや親の ない雀
雀の子 そこのけそこのけ 御馬が通る
痩蛙 まけるな一茶 是にあり
やれ打つな 蠅が手を摺り 足をする
有名な句だ。それだけに一茶の特質 ~ 弱者立地 ~ があらわれている。
小林一茶は、1763年、信濃国北国街道柏原宿の農家に生まれた。以前に訪ねたことがあるが、黒姫山の麓の雪深い里である。一帯は良質の蕎麦が穫れることでも知られており、15歳で江戸へ奉公に出るまでの一茶は、秋には辺り一面に咲く白い蕎麦畠を見て育ったであろう。
江戸には30年ちかく暮しているが、このうちの10年ぐらいは行方不明同然で何処で何をしていたのかサッパリ分からない。20歳ごろから俳句を学んだらしいが、だいたいにおいて江戸の一茶はパッとしない。それに何処に住んでいたかも明確ではない。少しだけ分かっているのが、江東区大島2丁目愛宕神社(1803年41歳のころ)、つまり今の蕎麦屋「銀杏」の隣と、墨田区緑1丁目(1804年42歳のころ)、つまり今「玉屋」という蕎麦屋がある辺りと、上野の梺(1805年47歳のころ)、つまり今の下谷1、2丁目~根岸1、2丁目界隈に仮住いしていたことだけだ。
とにかく一茶といえば、故郷の継母+義弟との財産争いが続いたことで有名だ。あまり裕福ではない一茶であったが、門人に俳句を指導しながら生計をたて、ぼちぼち俳人としての評価も高まっていったようである。
是がまあ つひの栖か 雪五尺 (文化9年)
そんな中、故郷に帰った一茶は、52歳で28歳のきくを妻に迎え、長男千太郎、長女さと、次男石太郎、三男金三郎が生まれたが、いずれも幼くして亡くなり、妻きくも37歳で亡くなってしまう。その後62歳で再婚、64歳で再々婚を重ねた。
この間、北信濃の門人の俳句指導、そして「七番日記」「八番日記」「文政句帖」「おらが春」などを著し、2万句にもおよぶ俳句を遺した。
1827年、柏原宿の大半を焼く大火に遭遇し、母屋を失った一茶は、焼け残りの土蔵に移り住むが、その年に65歳の生涯を終えた。
普通なら話はこれで終わるが一茶の場合はまだ続く。翌年の4月に遺腹の娘が生まれるのである。わざわざ書くことでもないかもしれないが、なにせ夜の夫婦生活のことまで記録している一茶である。その執拗さと2万を作句した桁はずれのしぶとさとはつながるような気がして紹介した。ともかく、この2万というのは、毎日1句は作らなければその数にならない。「何が何でも」と、ただひたすらに毎日発句する一茶の姿を想い浮かべてみると、「江戸のやつらが何知って!」「まけるな一茶 是にあり!」は自分自身への応援歌ではなかったのかと思えてくるのである。
☆蕎麦人一茶
一茶の発句の中で蕎麦の句は30以上を目にすることができる。それも蕎麦の花、蕎麦、蕎麦湯、蕎麦掻、箸にいたるまで・・・・・・、徹底している。
これらの句から描ける私の一茶像は「鄙の人」ということである。「蕎麦が好きだったか、そうではなかったか?」という問いの前に、一茶は故郷が好きであった。イヤ、都で活路を見い出すことのできなかった一茶は、故郷しか安住の地はなかった。一茶の行手を阻む壁は身分制度であった。今までこのシリーズで、江戸時代には趣味人あるいは文化人には自由なネットワークがあったと幾度も述べたことがあるが、それは「前時代に比べて」という冠と「とても現代のような自由さはない」という解説を付けなければ真実ではない。
一茶は勉強家であり、優秀であるがゆえに師匠に重宝されたが、句会の跡目は武家出身の弟子の方に譲られるのである。
繰り返すが、「是がまあ つひの栖か 雪五尺」と溜息を吐く傷心の一茶は、故郷にあるものなら何でも愛した。
そして「江戸のやつらが何知って、江戸のやつらが何知って」と、たん(啖呵)を切りつつ、蕎麦句を創れば、普通の俳人では目が届かない、蕎麦湯や箸の山にまで目を向けるのではないだろうか!
近い頃 しれし出湯や そばの花
そば所と 人はいふ也 赤蜻蛉
我里は 月と仏と おれと蕎麦
そば時や 月のしなのの 善光寺
赤椀に 龍も出そうな そば湯かな
そりや寝鐘 そりやそば湯ぞよ そば湯ぞよ
しなの路や そばの白さも ぞっとする
そば咲や その白さゝへ ぞっとする
更しなの 蕎麦の主や 小夜砧
山畑や そばの白さも ぞっとする
蕎麦国の たんを切りつつ 月見哉
そば所の たんを切りつつ 月見かな
はつ雪や 御駕へ運ぶ 二八そば
かげろうや そば屋が前の 箸の山
参考:「蕎人伝」第91、88、87、82、70、65、64、62話、一茶旧居跡(墨田区緑1-3-4)、愛宕神社(江東区大島2丁目)、炎天寺(足立区六月3丁目)、田辺聖子『ひねくれ一茶』(講談社文庫)、藤沢周平『一茶』(文春文庫)、
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕