第108話 蕎麦、そば、ソバ

     

「江戸ソバリエ」誕生(十三)

 

☆麺の規格 

 日本には、そーめん、うどん、蕎麦、ラーメンと麺の種類が多く在る。その規格は次のようになっている。チョットお硬い話になるかもしれないが見ていただきたい。 

 小麦粉製品の乾麺はJAS規格で、《そーめん》は直経1.3 mm未満、《冷麦》は1.3 mm ~1.7mm、《うどん》は1.3 mm以上とされている。

 また手延べは、《そーめん》と《うどん》は同じで直経1.7mm未満とされている。この3品は小麦粉製品だから、太さで名前が異なるわけである。

 同じ小麦粉に鹹水というアルカリ塩水溶液を添加すれば《ラーメン》になるが、こちらは一目でそれと判断できるから太さは決められていない。

 同じく太さの規格がないのが《蕎麦》である。これも素材が蕎麦だから、当然だろう。ただし、こちらの場合、とくに《江戸蕎麦》の場合は蕎麦職人が細さを競い1.3 mmの四角を目標としているむきがある。

 また規格ということでいえば、《蕎麦の干し麺》は蕎麦粉の配合割合が40%以上の麺を「標準品」、50%以上の麺を「上級品」としている。

 「《蕎麦の生麺》は蕎麦粉30%以上の製品について「蕎麦」との表示が公正競争規約で定められている。さらに良質の蕎麦粉50%以上含まれているものについては「高級、純良、特選、スペシャルなどの文言表示が認められている。

 

☆《ラーメン》を「そば」と言うのはやめよう 

 ところで、せっかくこのように、キチンとした真面目な規格があるというのに、それを嘲笑うかのように《ラーメン》のことを「そば」と呼ぶ人たちがいる。特に《焼きそば》なんかはすっかり市民権を得てしまっている。

 真面目ばかりが良しとは云えないだろうが、蕎麦ファンとしては、「規格」側の肩をもち、ルールを守って他の名称に変えられないかと思うことさえある。

 どうして、蕎麦粉が入ってない《ラーメン》のことを「そば」と言うのだろうか?

 それは、たぶん明治時代の東京で最初のラーメン屋と伝えられている「来々軒」が浅草1丁目で開業したとき看板に「廣東支那蕎麦」と書いたからだろう。

 では、なぜそういうキャッチになったかといえば、江戸の下町っ子、つまり庶民というものは土着的発想しかしないから、「麺には、そーめんやうどんや蕎麦がある」と言っても聞く耳もなく、「面倒臭いことを言うな、麺といえば蕎麦じゃないか」となったのだろう。でも、さすがに日本の《蕎麦》とはちょっと違うというわけで、《支那の蕎麦 → 支那蕎麦》となっただろう。しかし、私のような西日本出身者は、《ラーメン》は「ラーメン」であって、それを「蕎麦」とか「支那蕎麦」とかは絶対言わない。それなのに、江戸っ子の老人なんかには「何がラーメンだ。あれは昔から支那蕎麦に決まっている」と居直られる始末だ。

 こうした百年余の実績は動かしがたいだろうが、蕎麦党としては蕎麦でもない《ラーメン》などの中華麺を「中華蕎麦」「中華そば」「中華ソバ」なんて呼ばれるのはいたたまれない。頼むから「ラーメン」とか「中華麺」とか、言ってほしいと頭を下げたくなる。

 

☆蕎麦、そば、ソバ

 ついでながら、《蕎麦》の話であるが、「蕎」の字に「蕎麦」の意味があるから、できれば蕎麦好きとしてはひらがなではなく、漢字で「蕎麦」と表記してほしいとある所で話した。

 すると、「今の人は漢字で蕎麦と書けないし、書いてあっても読めないからひらがながいい」と言われたので、「じゃあ、子供さんはひらがなでそばと書いて、大人は漢字で蕎麦と書きましょうか」と言ってやった。案の定、その人は「ウ!」と黙してしまった。

 ひらがなのそばならまだいいとして、カタカナでソバと書く人がいるが、これも止めてほしい。

 カタカナもひらがなも日本の文字にはまちがいないが、現在カタカナ表記は限られて用いられるのが一般的だと思う。

 一つは外来語を表記するときである。パスタ、スパゲティなどがそうである。だから、ソバと書かれたら、そうした類のひとつと錯覚してしまうから、絶対に蕎麦をソバと表記するのは禁止してほしいものだ。蕎麦麺も元は中国渡来ではないかと言う人もいるが、それを言ったらキリがない。一般的には明治以降に入って来たものを外来という。

 二つ目は、強調したいときである。これは絵、デザイン、あるいはタイトル、さらには叫び声、動物の鳴き声などの場合に発揮する。

 デザインといえば、蕎麦通の必読書である夏目漱石の『吾輩は猫である』がそうである。漱石の原稿はカタカナでは書いていなかったが、画家・デザイナー・版画家の橋口五葉は本を制作するとき目立たせるために、ひらがな、カタカナで何度もデザインした結果、カタカナの『吾輩ハ猫デアル』の方に決定した。

 実は、このエピソードを知ったとき、私も目立つようにと願って、カタカナ表記「ソバリエ」を決意したことがある。

 橋口五葉の作品

  とにかく、われわれは財産である漢字、ひらがな、カタカナをうまく使い分けていかなければならないと思う。

参考:「江戸ソバリエ」誕生(第46、50、51、53、54、57、58、60、82、93、94、95話)、夏目漱石著・橋口五葉装幀『吾輩ハ猫デアル』(大倉書店)

〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる