第130話 1月7日 七草蕎麦粥
季蕎麦めぐり(二)
1月7日、浅草の待乳山聖天で「大根祭り」が開催される日に、同じ浅草の蕎亭大黒屋では《七草蕎麦粥》が振舞われる。
そんな話を耳にしたので、友人の松本一夫さん(江戸ソバリエ・ルシック)とお訪ねした。席に着くと、お通しのようにして小さなお碗に入った《七草蕎麦粥》が出た。
《蕎麦粥》に入っているのは、芹、薺、御形(母子草)、繁縷、仏座(小鬼田平子)、菘(蕪)、蘿蔔(大根)の食用の春の野草である。
本来、1月7日に食するのは《七草粥》である。その原形は中国から伝わってきたといわれており、わが国では室町時代から1月7日に七草を爼に載せて叩いて粥に入れて食べるようになった。
それを大黒屋の師匠である片倉康雄さんは《蕎麦粥》で創った。それが《七草蕎麦粥》である。
大黒屋ではその伝統を守って今日の振る舞いとなるわけだが、出汁の味は、当店名物のひとつである絶品《蕎麦米とろろ》と同じだろう。
お粥のことを優しく「お粥さん」ということもあるが、口にすると優しくホッとするようなところから、自然にそうよぶのだろう。
メタボなどの成人病がご専門の田中照二医師(江戸ソバリエ講師)によれば、米より蕎麦は健康にいいという。
ぜひとも、1月7日の《七草蕎麦粥》振舞いを蕎麦界の定番にしたいものだ。
ところで、「春の七草」はご覧の通り食用であるが、「秋の七草」は主として観賞用として讃えられてきた。「秋の七草」を選定したのは山上憶良(660-733)だ。七夕の夜に供える七草として選んだといわれている。
「秋の野に 咲きたる花を 指折り かき数ふれば 七種の花 萩が花 尾花 葛花 撫子の花 女郎花 また藤袴 朝貌の花」 山上憶良『万葉集』
とすると、「秋の七草」は日本人の発想、「春の七草」は中国の慣習ということになり、「秋の七草」は日本の植物、「春の七草」は帰化植物ということになる。とはいっても、帰化は大昔の万葉のころのことである。
私は、万葉前の秋に咲く七草と万葉後の春に咲く七草がいっぱいに広がっている野原を想いながら《蕎麦粥》をゆったりと啜った。
参考:中西 進『万葉の花』(保育社)、犬養 孝『万葉十二カ月』(新潮文庫)、
〔江戸ソバリエ認定委員長、伝統江戸蕎麦料理調査研究員 ☆ ほしひかる〕