第156話 8月4日 箸の日
季蕎麦めぐり(十一)
あるところに「神に架ける箸」という駄文を書いたとき、「その題はダジャレか」と、仲間に笑われたことがある。正直に言って、半分はダジャレもあったが、残り半分は大まじめであった。
実は箸も、橋も、嘴も、つなぐという意味で語源は同じだそうだ。だから写真のような嘴型の箸もあったのだろう。
とにかく、口と食べ物をつなぐ架け橋が箸ということになるだろうが、初めは、辺りにある木の枝や竹を削っただけの道具で食べ物を撮んでいたのだろう。それから白箸になり、段々に美しく繊細な箸になってきた。
とにかく、日本人は変わっている。外国人は食べる道具(箸、匙、ナイフ、スプーン、フォーク)をたくさん持っているが、われわれは箸だけである。それに箸の置き方だってわれわれは横であるが、彼らは縦に置く。
そんなところから、私は箸を取る行為は結界へ入る行為ではないかと思うから、やはり「神に架ける箸」なのである。
だから、箸にゆかりのある寺社にはできるだけお参りするようにしている。
その一番は何といっても、食の思想家1号である道元の永平寺、そして「江戸蕎麦ゆかりの寺社」と独断している日枝神社の箸感謝祭、ちょっと足を伸ばして阿波の箸蔵寺にも行ってみた。なかには仏像が刻印された箸や菊の御紋の入ったお箸にもお目にかかった。
さらには江戸ソバリエの名前入りの箸も作ったり、自分で漆を塗ってみたりしたし、江戸ソバリエの店「マルス」製の木曾ひのきや、日本文化の星白洲正子さんの邸の「武相荘」の箸もある。
変ったところでは、蕎麦打ち器「いえそば」や人気マンガ「そばもん」の箸もある。
そうこうしているうちに箸袋も貯まってきて、石綿さんという友人から手作りの十二支の箸袋をいただくまでになってしまった。
箸の長さも時代、すなわち日本人の体格の変化によって異なっていたと思われる。
というのは、赤穂義士ゆかりのお寺として有名な泉岳寺に併設されている、記念舘を訪ねたら、浅野内匠頭の阿久里夫人のお箸が展示されてあった。写真撮影は禁じられているので、係の人に頼んで長さを測ってもらったところわずか13cmだった。今の女性用のお箸(約19cm)よりかなり短い。骨の学者によると、江戸時代の男性の身長は150cm、女性は140cmぐらいだという。だから13cmのお箸でも十分である。だとすれば、それに伴う食事の量、蕎麦の盛りはかなり少なめだったといえるだろう。
箸の中の箸ということでいえば、際付はアイヌの箸であろう。私は「原日本人はアイヌ人である」という説を支持する者であるから、箸の元祖もアイヌの箸でなければならないと思っている。
アイヌの人たちが日常的に使用する箸は「パスイ(pasuy)」とか「イペパスイ(ipe pasuy)」というらしい。
他に祭祀用の一本箸もあって、それは「イクパスイ(iku pasuy)」と呼ばれるそうだ。ただこれは祭祀のときのみ使われる箸だから、普段ではあまりお目にかかれない。やはり、神に架ける箸なのだ。
参考:季蕎麦シリーズ(第156、155、152、149、145、143、140、136、131、130、129話)
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕