第158話 作る人=食べる人
食の思想家たち、七
☆G.I.ブルース
世界を変えた歌手たちがいる。マイケル・ジャクソン、ザ・ビートルズ、エルヴィス・プレスリー・・・・・・。
そのうちのプレスリーが唄った曲の中に「G.I.ブルース」というのがあった。G.I.の正確な意味は知らないが、一般には「アメリカ兵」の俗称だ。だから、「G.I.ブルース」は兵隊ブルースとでも思っていればいい。だけど今、そのG.I.という言葉もあまり耳にしなくなった。
代わって、というわけでもないだろうが、最近になって「G.I.=Glycemic Index」という医学上の、真面目な言葉をよく目にするようになった。その意味は「食品を食べたあとの血糖値の上昇ぐあいを示す指数である(血糖化指数)」という。
といわれても、われわれ素人にはとても理解できない。たとえば「蕎麦にはルチンやビタミンが含まれている」とか「含まれてない」といったような、成分など具体的なモノの話だと分かりやすいが、「指数」といわれるとなかなか難しい。
難しさを避けようとするあまり余談から始めたが、とにかく「G.I.」ということを知りたくて、田中照二先生(江戸ソバリエ講師)が代表をつとめられる「日本Glycemic Index研究会」に参加して、それを機に今日まで11回の記録誌を捲ってみた。
☆低GI食品 ← 作る人の問題
先ず目に入ったのが「日本人の計測による日本食のGI」という表である。食品を「高GI(83以上)・中程度(82~65)・低GI(64以下)」に分類してある。こういう具合に表にしてもらえば素人でも分かるし、便利だ。
つまりわれわれは、下記のような低GI食品とされるモノを食べればいいのである。
インディカ米ご飯、とろろかけ米飯、蕎麦、うどん、惣菜用ビーフン、即席焼ビーフン、スパゲティ、パスタ、長芋(生)、長芋(とろろ)、大豆甘納豆(ココシュガー使用)、お汁粉、ポテトチップス、バターケーキ、セルロース添加バターケーキ、アラビノース添加バターケーキ、セルロース+アラビノース添加バターケーキ、ミルクチョコレート、みかん、りんご(富士)、西瓜、いちご、グレープフルーツ、メロン、バナナ、野菜飲料、果汁入り野菜飲料、ヨーグルト入り野菜飲料、 (「高GI(83以上)・中程度(82~65)」の食品は省略)
この表は、われわれ蕎麦好きにとっては朗報である。
(1)われわれが治験に協力した(第8回記録誌掲載)蕎麦も含めて、麺類はほぼ低GI食品である。
(2) 一部インディカ米ご飯やとろろかけ米飯が低GIに入っているが、他の米飯はほとんどノーである。
さらに記録誌を見てみると、水溶性繊維食、食物繊維量の多い食、酢などはいいというデータもある。
また、単独飯よりそれら野菜や酢の物などブドウ糖になりにくいものとの「組み合わせ」によって、いい結果も出ている。たとえば、牛丼などを食べるときは野菜サラダなどを共に食べたがいいということである。
これらは一般に指摘されていることと同じ傾向であるから理解できる。
他の論文で、特に面白いのは「炊飯器の種類別における米飯のGI値比較」実験である。結果は非金属の木炭釜で炊いたご飯が低い値だという。
GIの話が、料理道具まで及ぼうとは思ってもいなかった。
☆食べ方の順番 ← 食べる人の問題
「組み合わせ」をさらに工夫して、「食べる順番」という考え方もある。その結果、ご飯より野菜サラダを先に食べた方がいいとか、アミラーゼやα-グリコシダーゼなど消化酵素を阻害する食品、胃内排泄速度を低下させる食品、インクレチンの分泌を促す食品は、高GI食品の前に食べるなどの順番についての報告が見られる。
また食べる速度が遅い方が血糖を上げにくくするという結果が出ている治験もこの問題の範疇であろう。
そもそも、低GI食品あるいはそれを含んだ食品の組み合わせ料理というのは、作るときにすでにそのような方針をもっていなければならない。つまり料理人が問題意識をもってなければ意味がないということになる。
ところが、この食べ方の順番は、食べる側の問題である。今までは栄養学にしろ何しろ、作る側の課題であって、食べる人は出されたものを黙って食べるしかなかったが、食べる順番に光を当てたということは革新的ではないかと思う。記録誌の中には、もっともっと食べる側に立って考えたいという提案も見受けられる。たとえば、
・朝のトースト+コーヒーor紅茶、またはジュース、ミルクの場合、どれを先に食べたがいいのだろうか? 玉子焼きや、ハムはいつ口にしたらいいの?
・一汁三菜といわれる和食はどれからつまめばいいの? 味噌汁は、魚はいつ口にしたらいい?
・食前のお酒はよろしくないという指摘もあるようだが、宴会の乾杯もふくめたお酒の心得は?
・フルコースの食後のデザートはいいの?
そうしたデータが蓄積されれば、われわれ素人には食生活を考える上でまことにありがたい。もちろん「GIからみた料理」はもっと充実してくるだろうし、「GIからみた食の作法」なんていうのも生まれるかもしれない。
☆作る人=食べる人
古来わが国は、「○○道」というような形で作る側の術は尊ばれてきたが、その割には観賞の方法はあまり発達してこなかった。それはたぶん身分制度のためだったろうと考える。たとえば、料理は「偉い人に作って差し上げる」し、作られた料理は「食べてやる。だけど、食べ方はオレ様の勝手だろう」という文化である。江戸時代になっても茶屋、料亭という密室の、男性のみの限られた社会であったため、食べ方やマナーはいびつな文化として封じ込められた。ただ一部、茶道だけは両方の立場を兼ねてはいるが、それは利休が身分制度時代の中で身分制度を外した芸術的空間を創り上げ、それ故に精神修養的な特殊な世界の位置をなし、一般的な作法にはなりえなかった。
思えば、鎌倉時代の道元は、『典座教訓』で作る側の心得を述べ、『赴粥飯法』で食べる側の心得を説いた。食の思想家といわれる道元が言いたかったのは「作る側=食べる側」ということなんだろう。
だから、日本GI研究会の「食べる順番の研究」には日本の食の新しい道を期待したいし、またわれわれ江戸ソバリエも原点に戻って「手学=舌学」を共に大事にしようと思う。
参考:「日本Glycemic Index研究会」第4~11回記録誌、道元『典座教訓』『赴粥飯法』(講談社学術文庫)、ほしひかる「小説『典座教訓』」(日本そば新聞)、
「食の思想家たち」シリーズ(「蕎麦談義」67話 村井弦斉、73話 多治見貞賢、137話 貝原益軒、138話 林信篤・人見必大、142話北大路魯山人、151話 宮崎安貞、158話 道元)、
〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕