【10月号】 東北復興支援 「早稲田みょうがを食べる会」が開催される。
執筆者:auc_shonin
「早稲田ミョウガを探しませんか!」と、フードボイスで、問いかけをしたのは、2009年の12月だった。
多くの方々から反響があった。
中でも、元東京農工大学の梶井功学長が、「君の話は面白い! いい人を紹介しよう」と、当時、早稲田大学の堀口健治副総長を紹介していただいて、早稲田の皆さんとお近づきができ、捜索活動に結び付いた。
改めて、早稲田の地を歩いてみると、早稲田鶴巻町はビル化が進んでいて、庭のある一戸建てが減少している。しかし、大学から西の西早稲田一帯には庭のある家も多く残っていた。
数回の捜索活動で、早稲田の地で、30数カ所でミョウがが自生していた。
稙栽として植えられたと思うところもあったが、狭い地域でこれだけミョウガが生えていたところは、珍しい、
これは、地形的に神田川に流れ込む地下水の流れがいくつもあるものと考えられる。
当研究会では、捜索活動と並行してミョウガを栽培していただける農家を探していた。
当時私は東京都農林水産振興財団に勤めていたが、同財団の都農林総合研究センターの技術者に相談したところ、練馬区高野台の井之口喜實夫さんが、ミョウガの軟化栽培「ミョウガダケ」をしていたことがわかった。
井之口さんは現役時代から親しくさせていただいていたが、昔、ミョウガを栽培していたとは知らなかった。
勿論、お願いしたら二つ返事でお受けいただけて心強い限りだった。
2010年8月21日、新たな捜索活動にNHKのテレビクルーがついてきたが、その時、先頭に立っていただいたのは井之口さんだった。
あいにくこの年も干ばつが続いていて、これまでの捜索で見つけてあったところの、ミョウも枯れていた。
そんな中で、捜索隊員の一人が、一軒のお宅の庭にミョウガが群生しているのを見つけた。
後でわかったことだが、こちらのお宅は明治26年にこの地に移り住んだもので、5代目のご主人は大正生まれで、子供の頃から庭のミョウガを食べてきたという。
また、現在のお住まいは、建て替えたものの庭は当時のままだという。
2010年、寒さでミョウガが休眠したところで、いただいてきた根茎は、井之口さんの畑に仮植して、春の彼岸の頃に定植して根茎の育成を行った。
いただいた根茎は、植えっぱなして放置してあったために細く、選りすぐって半分しか使えなかった。
2011年の秋に、発芽した「茗荷の子」は、陽光にあたったせいか葉緑素が強く出ていた。しかし、早稲田ミョウガの特徴である美しい赤みが、所々にあることから、期待を持っていた。
築地の東京シティー青果からも、畑で判断してもらったが、早稲田ミョウガはいくらでも欲しいと注文が入った。
今年は、4月の初めに井之口さんの根茎を4軒の農家に分けて、栽培が始まった。
同じ頃、早稲田大学が、震災で被害を受けた気仙沼の復興プロジエクトに取り組んでいるので、早稲田ミョウガを活用したいとの提案があった。
捜索活動が御縁で、「震災復興のまちづくり」として、JA共済の支援を受けた「気仙沼復興塾」に、早稲田大学、社会科学総合学術院都市居住環境論研究室で「まちづくり」を教えている早田宰教授からお誘いを受けた。
9月30日からの、東北震災復興支援「早稲田かつお祭り」が、早稲田大学周辺商店連合の主催で行われることになった。
祭りの前日、早田先生と学生の中田さんが井之口さんの畑にやってきた。
井之口さんの話によると、昨年の試作時とは、まったく異なる色艶に仕上がった。
いわゆる、早稲田ミョウガの特徴である、全体に赤みが美しく、大振りで晩生のミョウガであるという、特徴が表れていた。
根茎育成に力を入れたために、今年の株はしっかりとして力強いと、生産者の井之口さんは語る。
9月30日から「早稲田かつお祭り」が開催されている。
10月6日、西早稲田の居酒屋「かわうち」で、「早稲田みょうがを食べる会」が開催される。
17:30~19:30 先着30名 一般3,000円 03-3205-4129
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