第163話 箸袋スケッチ

     

 

☆アメリカ映画のスケッチ 

 『幸せのレシピ (No Reservations)』(2007年、スコット・ヒックス監督)という映画がある。

 キャサリン・ゼタ=ジョーンズという美人女優がニューヨーク、マンハッタンにあるレストランの料理長を演じ、BGMにルチアーノ・バヴァロッティの高らかな歌声が流れることもあって、おシャレな映画になっている。

 ただ、その中で日本人の目から見て、ちょっと変な場面があった。

 キャサリンが自分のアパートに帰ったとき、ドアに「おてもと」と日本語で書かれた箸袋がセロテープで貼り付けてあるのである。キャサリンは何の不思議もなく、箸袋を外して、キーを回して部屋に入る。

 「何だいこれは!」と日本人なら思うだろう。

 一見して、映画の中の人物どうしの何かの合図のようでもあるが、前後にそのような説明はない。もちろんストーリーには日本料理も出てこない。まったく脈略のない箸袋の登場ぶりである。

 同じ年に作られた『パーフェクト・ストレンジャー』(ジェームス・フォーリー監督)でも、箸で寿司を食べるシーンがあるが、もしかしたら『幸せのレシピ 』の監督か、脚本家が、日本食贔屓だったところからくるイタズラなのかもしれない。とにかく謎の箸袋だった。 

☆箸袋の歴史スケッチ

 マ、そんな箸袋だが、その歴史は古い。平安時代、宮中の女官たちが、自分の着物の端布で箸を入れるための袋を作ったのが始まりだという。

 それが室町時代になると、公式の祝の膳には箸を紙に包んで出すようになった。

 江戸時代では、上流の寺社や武士の家では箸袋が見られるようになる。また江戸の吉原においては、馴染みの客の箸を入れるために、客の名や紋などを入れた箸袋を用いたというから、色っぽい。もらった客はその遊女にますます夢中になってしまうだろう。

【おまけ ☆ほしひかる絵】

  明治になって、山陽鉄道の開通に際して駅弁が開始しされたが、そのときに弁当に添えた箸を紙で包むようになって、庶民のものとなった。

 

☆ソバリエ・ミニミニミニ博物舘スケッチ

 そんな箸袋であるが、私もあちこちの蕎麦屋めぐりをしているお蔭で、いろんなものに遭遇する。

 そのほんの一部を写真でザッとご紹介してみよう。

  先ず、寺社のそれは食の心得を書いてあるものが多い。それは道元が『典座教訓』『赴粥飯法』で「食も修行である」と説いたことに由来する。

 ちなみに、江戸ソバリエ・ルシックで、蕎麦の打ち方食べ方の試験を行うのは、道元の精神、すなわち『典座教訓』作る側の心得を説き、同時に『赴粥飯法』頂く側の心得を説いたことを循守するものである。現代風にいえば、作る側の論理「蕎麦道」だけでは、グローバルはほど遠いと考えるからである。

 【空海の箸伝説をもつ箸蔵寺の箸袋】

【食の心得を書いてある、永平寺延暦寺の箸袋】 【食の心得を書いてある、大心院九品院の箸袋】

  箸袋に「寿」などの吉字を記すのは、江戸中期以降になって、箸袋もかなり普及し、正月の祝膳で使用される箸は奉書に包まれ、水引をかけられるようになってからである。

【「寿」の字のある嬉野温泉「大正屋」の箸袋】

 石綿さん(江戸ソバリエ・ルシック)から頂いた十二支も、そうした吉事の箸袋にはいるだろう。

 石綿賢さん手作りの十二支の箸袋

  われわれ江戸ソバリエにとって興味深いのは、やはり蕎麦文化に触れているものであろう。

 たとえば、蕎麦道場「東祖谷」の箸袋は「東祖谷古民謡」の、「いづもそば本家」の箸袋には「出雲そば音頭」の歌詞が載っている。これらはソバリエのお宝だ。将来はソバリエ博物館に蔵したい。

 蕎麦民謡(東祖谷古民謡)の歌詞が書いてある蕎麦道場「東祖谷」の箸袋

 蕎麦民謡(出雲そば音頭)の歌詞が書いてある「いづもそば本家」の箸袋

  しかし、それにもまして、石綿さんや中村さん(日本橋そばの会)から頂いた手作り品は、平安の箸袋の始まりのへ思いが感じられて素晴らしい。

 中村豊子さん手作りの人形付箸袋

  いつのまにか集まった箸袋を眺めていると、レストランで最初に箸袋を採り入れたのはどこだろう? 蕎麦屋で最初に箸袋を採り入れたのはどこだろう? なんて思ったりするが、今となってはもうわからないだろう。

 【民謡歌詞(木曽節、武田節)が書いてある「くるまや」と「つるや旅館」の箸袋】

 【戸隠山の歴史を説明してある「うづら家」の箸袋】

【箸置の作り方が描いてある箸袋】

【箸の持ち方が描いてある箸袋、上の3つはサンフランシスコのレストラン、下段は「黒澤」】

【小さな箸袋 ― 森鴎外も投宿した佐賀市「松川や」】

【三角形の箸袋と「道光庵」の結び型の箸袋】

 

 人気の連載まんが「そばもん」は箸袋と蕎麦猪口がペアだが、これもいい。

 面白いのは、松本一夫さん(江戸ソバリエ・ルシック)と行った「榎戸」では、箸袋に妻楊枝が小判鮫のように付いていた。「これを毎日作るのが私たちの仕事のひとつです」と店員さんが笑いながら言う。それを聞くと、「されど箸袋、大事にしなくては」と思ってしまう。

 さらには、日本橋そばの会の皆さんと中国へ行ったとき、お手拭きと箸がセットになって入っていた。

 【「そばもん」の蕎麦猪口と箸袋】

【妻楊枝が付いた「榎戸」の箸袋】

 【中国の箸袋、真中のものはお手拭きも入っている】

  いろいろ箸袋をスケッチしてみたが、これからも楽しい箸袋と出会いたいものである。そのころはソバリエ博物館もいろんなお宝でいっぱいになっているかもしれない♪

参考:蕎麦談義(第158.156.149.115.105.89.70.50.44.28.18.13.2話)

 https://fv1.jp/chomei_blog/?p=3456

〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕