第61話 食卓の音楽
☆視覚と聴覚
映画『アマルフィ 女神の報酬』の中でSarah Brightman の透き通るようなソプラノに魅せられ、「あの映画をもう一度、見てみたい」と思った人は多いだろう。だからといって、ブライトマン のCD「Time To Say Goodbye」だけではいけない。どうしてもイタリアの、コロッセオ、サンタンジェロ城、カゼルタ宮殿、そしてアマルフィ海岸などの世界遺産が繰り広げられる映像とともに、サラの天使のような歌声を聞きたいのである。
それだけ、素晴らしい音楽は映画をさらに感動的なドラマに仕上げてくれるということである。
音楽の効果を思い知ったある日のこと、モーツァルトの「レクイエム」を聴きながらダ・ヴィンチの「最後の晩餐」を見てみたが、これはわれながら見事な組み合わせだと思った。
イエスと弟子たちの「最後の晩餐」が生々しく蘇ってくるかのようであった。皆さまにもぜひお試しいただきたい。
☆Musique de table
気をよくした私は次に、テレマンの「Musique de table (ターフェル・ムジーク)」のCDを聴きながら、ブリア-サヴァラン著の『美味礼讃』を読んでみようかと考えてみた。
「ターフェル・ムジーク」というのはハンブルクの音楽監督であったテレマン(1681~1767)が1733年に、当時の宮廷の宴席で演奏されていた室内楽を集めたものである。 当時は「太陽王」と呼ばれたブルボン朝ルイ14世や15世のもと、フランス・ロココ調の宮廷文化が花開き、その影響はヨーロッパ全土に及ぼうとしていた。 そしてフランスの宮廷では、料理人レニエール1世、2世によって今日のフランス料理の原型が確立されたころであった。
一方の、ブリア-サヴァランが生まれたのは1755年、そしてグルメのバイブルといわれる『美味礼讃』を出版したのは1825年である。
この二人の世代が多少重なっているところから、上述の「食卓の音楽」と『美味礼賛』の組み合わせを思いついたわけである。
サヴァランは、『美味礼讃』の中で1740年ごろの正餐としてこんな献立を紹介している。
第一コース | ブイイ、そのだし汁で煮られた仔牛のアントレ、 オール・ドゥーヴル |
第二コース | 七面鳥、野菜、サラド、クリーム(時々) |
デザート | チーズ、くだもの、ジャムのつぼ |
そこに「ターフェル・ムジーク」が流れれば・・・♪
おそらく正餐の客たちは、その曲の、華麗でおおらかな美しさと明るい旋律を耳がとらえることだろう。その雰囲気は後世のモーツァルトの「ディヴェルティメント」(1772年)にもうかがえるが、春のような華やかな宮廷で、貴族たちが七面鳥の丸焼きにナイフを入れたりして、贅沢な宴を催している光景が見えてくるようである。
☆食卓音楽のプロデューサー
考えてみれば、食卓には臭覚、視覚、触覚、味覚は載っているが、聴覚を満足させるものは少ない。ならば、音楽で補おうというのが、食卓の音楽の役割だろう。
しかし、音楽と食事の相性は、そう簡単ではない。クラシック、ラテン音楽、タンゴ、ロシア民謡、カンツォーネ、シャンソン、ジャズ、カントリー・ミュージック・・・・・・。
食材が地産地消を言うならば、音楽にも地産地消があるだろう。くわえて、メロディ、リズム、ハーモニー、そして背景としての物語も大切である。
さすれば、料理に合うワインを提供してくれるソムリエならぬ、料理に合う音楽を見つけ出す、食卓音楽のプロデューサーがいてもいいだろう。
参考:西谷弘監督『アマルフィ 女神の報酬』(真保裕一原作)、Sarah Brightman 歌「Time To Say Goodbye」、テレマン「ターフェル・ムジーク」、ブリア-サヴァラン著『美味礼讃』(岩波文庫)、モーツァルト「ディヴェルティメント」、水谷彰良『ロッシーニと料理』(丸善)、チャールズ・ウィーダー監督『樂聖ショパン』、高樹のぶ子『ショパン 奇蹟の一瞬 ~ 聴きながら読む ジョルド・サンドとの愛』(PHP研究所)、中丸明『絵画で読む聖書』(新潮文庫)、宮下規久朗『食べる西洋美術史』(光文社新書)、池内紀『姿の消し方』(集英社)、
〔随筆家、江戸ソバリエ認定委員 ☆ ほしひかる〕