第118話 新蕎麦、解禁
お国そば物語⑥常陸秋そば
☆常陸秋そば誕生
「茨城県産の蕎麦は質が高い」との評判は昔からあったが、それは品質として確立したものではなかった。そこで県の農業試験場は、茨城ならではのブランド蕎麦を創り上げようと新品種育成に乗り出した。
試験場は、親として常陸太田市金砂郷地区赤土町の在来種を選び、望ましい性質をもつ株の種子だけを選び取って栽培を繰り返す「選抜育成」を1978年から3年かけて実施した。その結果、実が大きくて、粒ぞろいの「常陸秋そば」が誕生し、85年には茨城県正式奨励品種とされた。その後も厳密な種子の管理が続けられ、「常陸秋そば」は蕎麦職人、蕎麦通から高く評価され、香り高く、コシのあるブランド蕎麦として知名度ナンバーワンとなったことは周知の通りである。
☆常陸秋そば賞味の会
そのブランド蕎麦「常陸秋そば」の収穫時期に合わせ、さらに認知度を全国的に向上させようと、茨城県主催によるプレス向け賞味の会が11/1江戸ソバリエ・シンポジウム講師細川貴志さんの店「江戸蕎麦ほそ川」(両国)で開かれた。
当日は、店主の細川さんと「常陸秋そば」PRマンの黄門ヨネスケ(落語家)さんのトークとともに、いばらき大使渡辺裕之(俳優)さん、常陸太田市大久保太一市長や江戸ソバリエなどの応援団が参加し、名人細川さんが打った「常陸秋そば」を賞味した。
早速つるつると啜ってみれば、新蕎麦の香りが口から鼻孔につたわってくる。
「やはり、秋の新蕎麦は美味い」。皆さんの顔がそう語っていた。
細川さんの「常陸秋そば」使用歴は古い。30年ぐらい前から、赤土町の「常陸秋そば」を打っている。理由は、赤土町では手作業で行われているから、気に入ったのだという。手で刈り、十分に熟成させ、茣蓙を広げて杵や棒で叩いて実を落としている生産者もあるらしい。
そもそもが「常陸秋そば」の故郷赤土という所は、周辺から隔絶していたため開発から取り残されてきた。そのお蔭で、一帯は多種多様な植物と昆虫たちでいっぱいの世界のままらしい。まさに他家受粉の蕎麦にとっては最高の環境である。加えて、急斜面が多くて畠が広くとれないため、手作業が主となる。
食材を直接自分の眼で見て納得したものだけを使用するという職人気質の細川さんにとっても、赤土の「常陸秋そば」は最高のレベルであった。
「名人、本物を知る」とはこのことであるが、この厳しさが客に至福の味を供するのである。
☆新蕎麦解禁日
話は変わる。最近の日本の、蕎麦粉の年間消費量は次のようになっているらしい。
1月1650 2月1528 3月1960 4月1995 5月2124 6月2221
7月2394 8月2290 9月1762 10月1658 11月1695 12月3386
計24663 (単位t) 2006年農水省消費流通課データより
見ての通り、消費量が一番多い月は冬の12月、続いて5、6、7、8月の暑い夏である。これは一般の人たちが「大晦日には年越蕎麦を」、「暑い夏には冷たい蕎麦を」という消費行動をとっているためであろう。
この数字で思い切った推量をすれば、大晦日には普段の約2倍の人が年越蕎麦を食べ、5、6、7、8月には普段の約3割増の人が冷たい蕎麦を食べているということになる。
つまり、蕎麦ファンは秋の新蕎麦を待ち焦がれているが、一般の人たちはそうでもないと言わざるをえないのであるが、ただこれは蕎麦ばかりではない。
現代人が食材に季節感を求めることを忘れてしまい、イベントや記念日、そして「冷たい」・「温かい」を美味しさの基準とする温感食を楽しむ傾向にあることはこれまでも指摘されているが、それが蕎麦粉の消費にも現われている。
こういう現状をふまえて、蕎麦の美味しさを訴えるには、「蕎麦は秋が美味しいですよ」だけでは弱いだろう。
ワインのボジョレ・ヌーボー解禁日のように、クリスマスのケーキのように、大晦日の年越蕎麦のように、バレンタインデーのチョコレートのように、具体的なイベントや記念日的発想をもって人が動くような、たとえば「新蕎麦解禁日」などを世間に提示するのもいいだろう。ただ、四季豊かな列島で順に稔る蕎麦の場合は、統一して「新蕎麦解禁日」というわけにはいかない。
ただ一つ、ブランド蕎麦として代表的な「赤土の常陸秋そばの、新蕎麦解禁日」なら可能かもしれない。
参考:11/1「常陸秋そば」賞味の会、「『常陸秋そば』の故郷 常陸太田の物語」、お国そば物語(第89、66、44、42、24話)、「蕎麦談義」第101話
♪ 江戸ソバリエは、関東の蕎麦「常陸秋そば」を応援しています。
〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕