第132話 深大寺蕎麦の詩
蕎人伝⑭サトウ・ハチロー
「長崎の鐘」という歌がある♪ サトウ・ハチロー(明治36年~昭和48年)の作詩である。「鐘」という音楽的な言葉の響きのせいだろうか、それとも「長崎」がもつ独特の光景のせいだろうか、なぜかこの歌が好きである。
だから、文京区に越してきたとき、「サトウ・ハチローの家」が記念館になっていることを知って訪れたことがある。
あるときは、彼の詩集『爪色の雨』を古本屋で見つけたこともある。「爪色って、どんな色だ? 雨と全然似合っていない。なのに、詩的な言葉である」と思いながら、ついつい買ってしまった。後日、それがハチローの処女詩集(大正15年)で、かつ装幀は私と同郷の画家古澤岩美が手がけたものと知って、大事に本棚に飾っている。
それから数十年、も少しで六十に手が届くというころ、縁あって深大寺の蕎麦店「門前」を初めて訪ねた。そうしたら、卓の目の前にハチローの詩が大きく書いてあった。
わらぶき屋根の 山門に
おじぎだけして すする蕎麦
昔をしのばす 縁台に
明治の色の 緋もうせん
蕎麦にゆれてる 木洩日を
箸で口へとたぐり込む
清水の匂いと 笹の香が
静かに鼻へとぬけてゆく
雑木林に むさし野の
名残りとどめる 深大寺
このままであれとただ願う
さびしやわれも 早や六十
サトウ・ハチロー
【深大寺わらぶき屋根の山門 ☆ ほしひかる絵】
たしかに、《荒碾蕎麦》を啜っている私の目の前には藁葺き屋根の山門がある。「明治の色の」という言葉もいい。
「名残りとどめる 深大寺 このままであれとただ願う」。
深大寺を歩いて感じる清水の匂いと笹の香が「このままであれ」と私も願い、蕎麦をたぐる。
「箸で口へとたぐり込む 清水の匂いと笹の香が 静かに鼻へとぬけてゆく」。「鼻へぬける」!その言葉にハチローが蕎麦好きだったことがうかがえる。
だから、私は訪れる度にハチローのあきない詩に感心し、ハチローと一緒に蕎麦をたぐり込む。
参考:蕎人伝(第106、105、104、102、99、91、88、87、82、70、65、64、62話)、
深大寺蕎麦(第124、48、9、7話)、
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕