第360話 手作り豆腐文化論
2016/06/16
自分で作った豆腐がこんなに美味しいとは思わなかった。といっても、大したことをやったわけではない。1)用意された豆乳(100g、香川県・久保食品)に、2) 滷汁を小匙半分弱ほど(1.7g、高知県・土佐のあまみ屋)を入れただけ。あたかもコーヒーにミルクを入れたようなものだから、「作った」なんていうことにはならないが、とにかく係の人が、3)電子レンジで温めて(1分半)くれて、「できましたよ」と、持って来てくれた。
豆乳の材料である大豆は低蛋白・高糖度で知られる長野県産のナカセンナリだという。頂くと、舌に豆腐の味が滲みわたった。「生まれて初めての美味しい豆腐だ」と思った。
われわれの蕎麦打ちもよく水を使うが、豆腐も水が大事だと聞いている。そこで水について尋ねてみた。
そうすると、「浄水器に通した水道水を使っている。その水はけっして美味しいとはいえないけれど、豆腐にするととたんに美味しくなる」とのこと。なるほど。これは蕎麦打ちにも通用事することかもしれない。
そういえば、ある知人が「8軒の豆腐屋さんから手作り豆腐を購入し、豆腐の大きさ、重さ、密度、弾力性、きめ細かさを調べている知り合いがいる」と感心・驚き・呆れていたが、江戸ソバリエにも麺の細さや長さを測る人がいるから驚くことはない。そもそも江戸ソバリエの受講者は食べ歩きノートを提出しなければならないことになっているが、そのアイディアを思い付いたのは正岡子規が食べた果物を克明に記録しているところから発想したくらいだけど、その物が好きだったり、魅力があったりすればそのくらいのことはやる人はたくさんいる。
豆腐も日本人の好きな食べ物の一つだといえるだろう。だから、「良い食品博覧会」の一環として開かれた「食の語り部」講座のなかの久保食品の社長さんの「美味しい豆腐づくり」教室も満席だ。
誘って頂いたのは料理研究家の冬木れい先生だったが、豆腐作りもさることながら、私は久保社長の文化論に興味をもった。
それは「豆腐中量生産論」というものだった。
「一豆腐屋の豆腐作りは1,000丁ぐらいが適正量ではないか。それ以上製造して、売れ残りを廃棄するという大量生産方式はいかがなものであろうか。幸い、日本には「民藝品」というシステムがある。食品も、民藝品のような手作りによって、日本国を強くしたい」と言われる。
年間の食品ロスは約630万tといわれる。この数字はゴミ総排出量約4,490万tと比較しても凄い数字だから、久保さんの中量生産主義も頷ける。
「民藝」といえば、柳宗悦が「無銘」という言葉を用いて民藝について明確にしたのは古い話だ。「銘の有る美術品ではなく、無名の職人が作った健全な日常品、それが無銘の民藝品。その無銘品には質素な美しさがあって、けっして俗・不道徳・繊弱・粗悪・醜悪に堕ちているようなものではない」と言っている。
この「無銘精神」は江戸蕎麦と通じるものがあると思って、江戸ソバリエ事業の理念としてきた。
そこへ「手作り豆腐中量生産論によって日本の食文化を強くしたい」という話を聞いた。面白いと思った。
手作り豆腐、手打ち蕎麦、手作り民藝・・・の、中量生産主義で日本を強くする!!
参考:良い食品博覧会2016(渋谷ヒカリエ)、柳宗悦『民藝の趣旨』(日本民藝館)
〔エッセイスト ほしひかる ☆ 文・絵〕