第173話 年越蕎麦
季蕎麦めぐり(十二)
大晦日の喧噪と元日の厳粛さ、そしてそれを分ける除夜の鐘と年越蕎麦、それは日本ならではの独自の雰囲気を醸し出している。
年越蕎麦というのは江戸中期ごろから続く風習とされているが、発端は諸説紛々、明確ではない。
一、鎌倉時代のある凶作の年、博多の承天寺で年も越せない農民たちに蕎麦掻餅を振舞ったのが起こりという、年越と宗教の慈善活動とが結びついた説。
二、室町時代、関東で一、二の長者が毎年の大晦日に無事息災を願って家人と共に蕎麦掻を食べていたとする、商人、町人の慣習説。
三、ソバという植物は少しの風雨に当たっても翌日に陽が射せばすぐ起き上るところから「来年こそは」と捲土重来を期してとか、昔の金銀細工師は散乱した金粉を集めるのに蕎麦粉を使っていたところから「運を呼ぶ」とか、蕎麦は細く長く伸びるところから「細く長かれ」と願ってとか、蕎麦は体内を清浄にしてくれるといわれているところから新年を迎えるのにふさわしいなどの縁起かつぎ説など・・・・・・。
多分、こうしたことのす全てがまじり合って現在の年越蕎麦の風儀となったのだろう。
毎年の大晦日、神田界隈の老舗の蕎麦屋では普段の十倍ほどのお客さんの列を目にすることができる。蕎麦屋の方も営業時間を延長し、寒さを凌いでもらうために一斗函の炭火まで用意する。この光景はもう一種の風物詩である。
ところで、「江戸ソバリエ」という江戸蕎麦の勉強会を主宰していると、よく尋ねられることがある。「年越蕎麦は、〈かけ蕎麦〉を食べるのか、〈盛り蕎麦〉を食べるのか?」と。
江戸蕎麦の通はシンプルな〈盛り蕎麦〉をツルツルツルっと手繰るのがお好きだが、寒い日は温かい〈かけ〉をフウフウ言いながら食べるのもいい。好き好きだと思う。
それからもうひとつ「年越蕎麦は、蕎麦屋か、自宅か?」という問いもある。
それは、お店でも自宅でも構わない。最近はお持ち帰り用の生蕎麦もあるし、自分で打つ人もいるだろう。
ただ、昔は「年越蕎麦は他所で食べるな」とか「年越を共にしない者はあてにならない」とまで言われていたという。
大切なことは、家族揃って、自家流の年越蕎麦を食べることである。
各々の家族の行く年の過ごし方が心のアルバムとして残り、やがては子供たちが成長したとき、自分はどのようにすべきかが描けるであろう。
参考:季蕎麦シリーズ(第173、156、155、152、149、145、143、140、136、131、130、129話)
〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる〕