第一人者が語る 【 日本の糖質制限食品の歴史④ 】

      2019/09/19  

~糖質制限食品・お菓子と私の祖母~

 

アメリカのバージニア州に留学中の2001年に、

アメリカの私の祖母的存在のケイコ・スパークスさんを通して、糖質制限食品・お菓子に出会いました。(【日本の糖質制限食品の歴史③】でケイコさんに関して詳しく書いております)

それ以降は、お菓子を購入する時は、一般のお菓子では無く、糖質制限(Sugar-Free)お菓子を購入するようになっていました。
日本人のお口に合う甘さで、ダイエットとしても、私の強い味方でした(笑)

 

糖質制限食品と出会った以降に初めて日本に一時帰国した時。

糖尿病の祖母のため、ケイコさんに教えて頂いた、ケイコさんの主治医が糖尿病患者さんにお薦めする糖質制限食品・お菓子をたくさんお土産として一時帰国しました。

(これがアメリカから日本に最初に糖質制限食品・お菓子を持ち込んだことになるのかな??でも、こちらはプライベートでのお話ですので、第一人者として正式に日本に持ち込んだお話は、この次のブログで書かせて頂きます。)

あれほどお菓子が好きだった祖母が、糖尿病と診断されてからの8年間、主治医の言葉を深く受け止めてお菓子を食べずに頑張っていました。

 

そんな大好きな祖母(私の母の母)へ!

いっぱいの糖質制限の食品・菓子を祖母の目の前に広げ、、、、、
これらの商品は糖尿病患者さん用のお菓子であること、、、、、、
アメリカの糖尿病の医師が勧めている食品で安全であること、、、、、、
をしっかりとお話しました。

お菓子を8年振りに一口一口噛みしめるように食べる祖母。

「美味し~い。こんなに美味しいお菓子を糖尿病患者でも食べられるなんて。本当に美味しい。」

笑顔の祖母の頬に一筋の涙が、、、、、、

その後、時間ごとに血糖値測定器で血糖値を計る祖母。
「うわ~~。血糖値そんなに上がらないよ!由香ちゃん、ありがとう。おばあちゃん嬉しい。お菓子って本当に美味しいね。」と喜ぶ祖母。

 

そんな祖母の笑顔、涙、言葉が私の心に優しく何かを訴えて来た気がしてました。
私に何か出来ることはないのか?????

 

次の日、いつものように近所のおじいちゃん、おばあちゃんが集まりお茶とお菓子を楽しみながら団欒しているその中央に、糖質制限のお菓子が広げられいました。
高齢者は、当時でも、今でも糖尿病患者さんが多いです。
祖母の友達のほとんども同じく糖尿病患者さんでした。
祖母により多くの友人に紹介された糖質制限食品・お菓子の存在、皆さん感動していました。

 

小さい頃から高齢者になっても、食事・お菓子って笑顔の中心に存在する物なんですよね。
誕生日ケーキ、遠足、旅行、友達との時間、クリスマス、忘年会、新年会、お祝い、歓送迎会・・・etc

 

それから半年後の2002年の夏休みに、再度、日本に一時帰国する時には、
アメリカに戻って以来、祖母からたびたび国際電話が掛かって来て、

「由香ちゃん、次に帰って来る時は、また糖質制限のお菓子をお願いします。それと、お隣の〇〇さんも糖尿病だから、その分もよろしくお願いします。、、、、、、、、、、、、」と。

あの方、この方、その方、、と合計8名分の祖母の友達分の糖質制限のお菓子の依頼を受けました。

糖尿病患者さんのコニュニティーでの情報の伝わるスピードの早いこと早いこと。

 

それからは、日本に一時帰国する時度に、行きのスーツケースは祖母や祖母の友達への糖質制限食品・お菓子でぱんぱん。
アメリカへ帰る時には、自分用の日本の食品(インスタント類、お味噌、乾麺類、お吸い物類、etc)でスーツケースがパンパンでした。(笑)

 

それだけ、日本の糖尿病患者さんが待ち望んでいたお菓子だったことを体感しました。
祖母の友達の方は、「お菓子を頂いた時は目からうろこでしたよ。」とおっしゃっていました。

 

この頃の日本では、スーパーでは一般の食品しかほとんど販売されていませんでした。
一部の消費者のニーズに食品企業が対応はしないのか?、、、、出来ないのか?

当時は、食品企業さんに「もっと一部の消費者のニーズに対応して欲しい!」と祖母の思いを通して強く思っていました。

が、数年後、自分が日本で商品開発や製造に関わると、
「一部の消費者のニーズに対応したいけど、出来ない。」現状を痛いほど知りました。
ここは、後々、お話ししていきます。しばし、お待ちを。