第362話 サヨナラ! 「そばもん」

      2016/06/26  

そばもん直筆「そばもんの矢代稜とのお別れ会をしますので、来ませんか?」こんなお誘いを『ビッグコミック』編集部のKさんから頂いた。
会場の「大門更科」に行ってみると、全員が『ビッグコミック』の編集部の人ばかりである。作者の山本おさむ先生ご夫妻と、『そばもん』担当のKさんと、それから小学館社員であり、江戸ソバリエ・ルシックのA子さん以外は初対面。「来てよかったのかな」なんて思いながら、顔見知りのA子さんの前に座ったがやっぱり落ち着かない。
そのうちに右側の人が、佐賀県鳥栖市出身、左側の人が長崎県諫早市出身ということが分かって、「同郷ではないですか!」と、何となくホッとして、雑談に興じていた。
何の話をしたかというと・・・・・・、佐賀県の鳥栖という所は、江戸時代は対馬藩の飛び地だったから、「同じ佐賀県内でも文化が少し違いますネ」とか。反対に、長崎県の諫早は、佐賀鍋島藩の家老格の諫早家が管轄する地域であったから、「今は長崎県になっているけど、佐賀の雰囲気が漂っていますネ」などなど。
他国の人から見るとどうでもいいことだが、こんな風に地方には江戸時代のDNAが2000年代の今になっても残っているから、お可笑しいというか、地方というのはそういう所だということを思ったりすることが、故郷を語るということだろう。ちなみに、山本おさむ先生も諫早のご出身である。

さて、宴も酣のころ、山本先生がご挨拶された。
それは「藤村和夫先生の技術本を読んで、『これなら何とか続けられるな』と思ってから、8年間も連載できたが、これも皆さんのお蔭だと感謝している」ということだった。
「技術本を読んで、何とかなる」。これは大切なことである。わかりやすい本というのは、あんがいそれまでだが、理論的な書物ほど読んでいるうちに想像力がわいてくるものである。
そして先生は、私の顔が目に入ったのか、ついでに私についても触れていただいた。「蕎麦の歴史を勉強している人はあまりいないが、ほしさんはそれをやっている」という具合に。
正直にいって私も、蕎麦の歴史をやってきてよかったと思うことがある。ただし、それは元々の歴史好きの上に蕎麦の歴史をのせだけなのであるが・・・。
振り返ると、歴史好きは自分が佐賀県生まれであったことが大きい。
どういうことかというと、①先ず、若いころに吉野ヶ里遺跡という邪馬台国時代の遺跡が佐賀県神埼市から発掘されたことがきっかけだった。
つられるようにして私は「古代史」に関心をもつようになり、たぶん本屋や図書館に並ぶほとんどの本は目を通し、北九州や出雲や明日香のたいていの遺跡は訪ねただろう。そして論文も投稿したりした。
②次が、自分のルーツを調べ始めたことである。わが家の遠い祖先は鎌倉幕府の御家人だったらしいということで、これまた「鎌倉時代」のことを根掘り葉掘り調べ出し、鎌倉はじめ関東各地を訪ねたりした。そして「自分のルーツの調べ方」なんていう講演もしたことがある。
これらは、①が日本の夜明けと貴族社会の始まり、②は武家社会の始まりである。そして、現代の始まりである③の「幕末」とくれば、薩摩・長州・土佐・肥前である。だから、また佐賀にもどり、資料を読み漁って、だいたい日本の歴史2000年がつながって、自分なりの「歴史観」みたいなものをもてたと思う。
その俎板の上に蕎麦をのせたのであるが、言葉を換えれば伊藤汎先生の「寺方蕎麦論」と新島繁先生の「江戸の蕎麦」をつないだだけであることは、これまでも度々述べた。
藤村先生からも「おれは蕎麦の歴史のことは分からないが、たぶんそこに目をつけた人間は誰もいないと思うから、やってみたら」と褒められたことがあった。
そこにというのは、鎌倉・室町から江戸末期までをつなぐという意味である。
それは「寺方蕎麦から町方蕎麦へ」というテーマにもなる。背景には、源頼朝の旗揚げから最後の将軍・徳川慶喜までの武家社会の流れを知っておく必要があったが、それをやってきたことがずいぶん役立った。

加えて、最近は寺方蕎麦以前にも興味がわき、今ではⅠ.肉汁蕎麦(伝来蕎麦)⇒Ⅱ.垂れ味噌蕎麦(寺方蕎麦)⇒Ⅲ.つゆ蕎麦(江戸蕎麦⇒)なんていう推移のイメージをもつようになった。

とにかく、そんな次第で、楽しみながら『そばもん』に少しでも関わらせていただいたのも、また幸せなことだった。だから、お礼を言いたいのは、こちらの方である。

参考:『そばもん』①~⑲(小学館)発売中。
『そばもん』⑳(小学館)は7月29日発売予定。
「そばもん外伝」(『乱 TWINS』7月号)も発売中。

〔江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる:文 ☆ 山本おさむ:絵〕