第371話 箸は嘴から始まった

      2016/08/25  

☆老舗の味
第Ⅱ期江戸ソバリエ・ルシック認定講座も無事終了した8月○日、「江戸ソバリエ・ルシック寺方蕎麦研究会」の懇親会が、新しく加入された新メンバーを迎えて開かれた。
会場は、上野公園内にある「韻松亭」だった。これまでお昼には何度か訪れたことがあったが、奥の部屋に上がったのは初めてだった。昔の料亭を思わせる奥まったところの部屋に案内されたが、雰囲気はなかなかいい。
この「韻松亭」や人形町の「玉ひで」、神田の「ぼたん」、湯島の「鳥榮」などは《鶏すき》で知られる老舗である。いわゆる鶏肉のすき焼きだ。007
鶏のすき焼きというのは、今となっては珍しいが、仮名垣魯文の『牛店雑談 安愚楽鍋』を読んでいると、《すき焼き》の初めは鹿(もみじ)、(ぼたん)、の肉だったと想われる。だけれども、それが一般的になったのはやはり欧風化の明治以降である。それも用心しつつ鶏肉から始まり、そして今日のように牛肉になったのだろう。
しかも、《すき焼き》というけれど、〝焼く〟というより割下で〝煮る〟といった方が正しい。この割下が「江戸の味」である。
そんな歴史を背景にもつ老舗の料理というのは、しみじみと美味しい。
老舗の味は、日本の誇るべき食文化であると思う。

☆アイヌの箸
さて、席に座ると、卓には細めの竹の箸が置かれていた。
だから、話題が箸のことから始まったためでもあるが、小生がチラリとアイヌの祭祀用のお箸を持っているなんて話したこともあって、翌日周りに座っていた人に秘蔵の写真をメールでお送りしてみた。
そんな手前、秘蔵のお箸についてご紹介しよう。

祭祀用のアイヌのお箸は一本だ。だからそれを見せると、たいていの人が「一本でどうやって食べるの?」と言われるが、「食べるための箸」に重きをおかなくて「祭祀」に注視していただきたい。
アイヌの祭祀というのは、御幣に箸でお湯をかけるところから始まるらしい。
その様は、鳥が水を飲むときのようにピッ・ピッとかけるのだという。その行為に、箸の始原を想わせるところがある。
現に、箸の一方の突端は嘴のように尖っていて、裏を見ると舌が付いている。
たから、アイヌの祭祀用の箸を手にすれば、「なるほど。(ハシ)というのは、鳥の嘴(クチバシ)に倣ってできたのか」とイメージすることができる。
このことから、小生が述べたいのは、日本にも「嘴から発展した独自の箸文化が存在していた」のではないかということである。
理由は、①アイヌの祭祀用の箸が嘴に倣っていることと、②古墳時代にはピンセット状の箸というわが国独自の物が出土していることからだ。

ただ、アイヌ人が使う箸が日本の箸のルーツかというと、そうはいい切れない。というのは、アイヌ人の登場自体が歴的に古くはないからだ。
元始、日本列島には縄文人が住んでいた。それが縄文末期か弥生初期あたりから、西日本の縄文人は渡来してきた農耕民と混血して、現代の和人に進化していった。
一方、東日本の縄文人はそのまま小進化して、 → 続縄文人 → 擦文人 → アイヌ人へと変化した。
図式で表現すれば、こうなる。
《西日本の縄文人+農耕民 ⇒ 現代の和人》
《東日本の縄文人 → 続縄文人 → 擦文人 → アイヌ人》
だから、和人とアイヌ人は兄弟分だということになるが、じゃその兄弟が分かれていったのはいつか?といえば、弥生から古墳時代ということになっているらしい。
そんなわけで、アイヌ人の祭祀用の箸は、アイヌ時代に使用した物ではなく、擦文時代以前から使用していた「嘴に倣った箸」を伝統的に守り続けてきた可能性が高い。

日本箸の正史としては、①邪馬台国時代は手食だった。②飛鳥時代の小野妹子が隋から日本に箸を伝えたとなっている。
① については『魏志倭人伝』に記録してあるから、動かしがたいというのが、
学説である。私も、当初そう理解していた。
しかしながら、別の歴史眼から検証すれば疑問がわいてくる。
『魏志倭人伝』は中国の歴史書であるが、ご承知の通り、彼の国では中華思想というものが揺らぐことはない。つまり、自国だけが正しい文明国で、それ以外の周辺国は野蛮な国と見る。
食べ物の世界でいえば、中国のように料理をする国が文明国で、蛮国では生肉を食べる。中国のようにお湯で沸かした水を飲む人が文明人で、冷たい水を飲むのは野蛮人である。箸で食べるのが高度な文化人で、手食をするのは貧相な野蛮人である、といった具合だ。
どうだろう。こうなれば、〝野蛮〟という色で記録を残さなければならなかった皇帝の使者は、白も黒と書き変えて残したのではないか? という想像も可能である。
そもそもが、『魏志倭人伝』が正しい記録であれば、そこから邪馬台国の位置も明確になるはずだが、いまもって幻の邪馬台国ではないか!

譲歩して、箸は中国から渡来してきたとしても、わが国には「独自の箸」が存在していたが、その上に「渡来の箸」が広まったと考えたいが、それ以上の考え方はまだ未整理である。
以前、この『談義』で「芒の箸」について述べたことがあるが、そのときの論を今日の見方と重ねれば、新事実が見えてくるのかもしれない。
それまでは幻想の「箸嘴論」にしておこう。

【日本箸文化圏】
◎栗枝の箸を使用する北部九州・山陰圏
◎杉・檜・柳箸を使用する近畿圏
◎青箸(芒の茎)を使用する東国圏

《西日本の縄文人+農耕民 ⇒ 現代の和人》
《東日本の縄文人 → 続縄文人 → 擦文人 → アイヌ人》

参考:
仮名垣魯文『牛店雑談 安愚楽鍋』(日本近代文学館 ☆ ほし保存版)
梅原猛・植原和郎『アイヌは原日本人か』(小学館)、
ほしひかる『蕎麦談義』367話「芒の箸で麺を食べる人たち」

〔文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる〕