外食烈伝「その根底に流れるもの」(五歩)
執筆者:編集部
〈展開期〉その②
外食烈伝「三歩」でも触れたが、居酒屋の台頭と共に、専門店の味が好まれる傾向が顕著になっており、イタリアンや中華・エスニックなど幅広い業種業態が外食産業のリーダーシップをとってきている。また新しいチェーン店の進出も見逃せなくなっている。イタリアンでは、以前から人気の「ジローフィオーレ」や「東花房」、「壁の穴」、「レナウンミラノ」、「あるでん亭」、「サバティーニ・ディ・フィレンツェ」、「ローマ・サバティーニ」など新旧入り乱れて日本市場を席巻していった。しかしながらその底辺には「和食文化」があることは言うまでもない。日本の土壌でのレストランは、やはり和風の味わいが求められているのだ。引き続いての平成年代では、「個別専門店化」、「目玉料理のある店」が伸長していくのは確実である。また、たこ焼き、お好み焼き、たい焼きなど「和風ファストフード」もさらに大きなうねりとなって進展していくことが確実視されている。この続きは次の章に譲ろう。
その前に、角度を違えた視点から話を進めたい。
それは外食に限らず日本の精神文化の根底に流れる、言わば『血流』とでも言うべき事柄になる。これは何も難しいものではなく、日常的な考えから来ているもの。単純には、少し前のお笑い芸人がコントで使った「欧米か」という言葉。その意味は、「欧(ヨーロッパ)=紳士的精神」に対して、「米(アメリカ)=開拓者精神」というもの。
ヨーロッパ根底の「紳士的精神」には寡黙さがあり、良し悪しは別として、堅い商売向きでカジュアルさに欠けるという点。この背景には、明らかな出来事がある。それは昭和46年、日本外食史上初となるファストフードが上陸したこと。「東食ウインピー」がその企業。出店立地は六本木、渋谷、巣鴨他など好立地。しかし展開当初のヨーロッパ的な大人しいスタイルがマイナスに働いたことは否めない。ファストフードなのにレストラン方式のナイフ・フォークでの固い食べ方を提唱したことがその一因。事実、翌47年にマクドナルドが銀座四丁目三越に"立ち食いスタイルのファストフード"を展開、それまでの日本的な道徳規律のタブーである"立ち食い"というスタイルと「歩行者天国」の相乗効果で、当時の子供・若者や女性にカジュアルな食べ方がウケ、瞬く間に大成長していった経緯となった。この時に逆転の発想で先駆の企業がカジュアルさを提唱していたならば、現在の外食の勢力地図は変わっていたかも知れない?この時点で「バーガーキング」も八百半デパートとの接点により、マクドナルドと同じく日本への上陸があったならば、日本外食の歴史がまた一つ違った展開となっていたかも知れない。これは後世の歴史が明らかにしてくれるだろう。この二つの精神は調理人の違いにも出ている。「紳士的精神」は関東の調理人に通じており、寡黙さがその根底。また「武家社会」の武士道の精神に似ており、「武士は喰わねど高楊枝」のように内に闘志を込め、気持ちを余り外には表さないことが背景にある。同様に関東の調理人は、"暖簾の中"が定位置で、誠心誠意の料理を作るが、表には出てこないのが実態。
次いでアメリカを背景とした「開拓者精神」は、開放的な精神で自然なスマイルを根底としており、効率的な商売を念頭に置き、先取りを根幹とする「何でも屋」の発想につながっていく。外食に関しても、一概には言えないが、アメリカは味覚は大雑把だがフランチャイズシステムで、大きく展開していった事実がある。調理人の世界では関西に通じるものがあり、「公家社会」を背景に、蹴鞠などの遊びや、落語家に代表される粋な人が多く、パフォーマンスをうまく生かし、その精神面では"暖簾の外"に出て、お客と話すことに長けている人が多いことは言うまでもない。これが外での食事、「食道楽・食い倒れ」の意味合いにも繋がっている。これらを包括的に統合していくと、現在の日本の外食産業は約25兆円、中食が約10兆円、内食(家庭内食事)が約50兆円で、約90兆円の国家予算の規模に匹敵するものと捉えている。これに引き換えアメリカの予算規模は、外食産業が約70~80兆円、中食20兆円、内食(家庭内食事)が20兆円で、いかに外食の比重が多いかが解る。これは国民的な意識と食生活の違いが大きいと言えるだろう。