第379話 クレフト博士と赤い蕎麦

      2016/10/07  

中央ヨーロッパの、アルプスの南側にスロベニア共和国という国がある。1991年にユーゴスラビアから独立した国だ。
そのスロベニア大使館にご勤務されている神足リエさんという知人から、「ソバ博士・イワンクレフト先生が伊那の蕎麦を見に行きたいとおっしゃっているけど、どうしたらいい?」と相談された。
イワン・クレフト先生・・・・・・、お名前は知っている。世界ソバ研究者連合の最高責任者だ。それに伊那と聞けば信州大学の名誉教授であった氏原先生を思った。
すぐにお嬢様の氏原睦子さんにご都合を尋ねてみると、睦子さんも「クレフト先生とは久振り」とおっしゃる。その上に「その日は伊那へ行く予定」とのこと。
「ラッキー」とばかりにお付合いをお願いし、私も間に立った手前、睦子さんに丸投げするわけにはいかず、塩尻で三人は合流した。
さっそく、私たちは睦子さんの真っ赤なアルファ・ロメオに乗せてもらった。日本の、中央アルプスや南アルプスを眺めながらの彼女の運転は快適だったが、先生はあんがい用心深い。スピードが出過ぎると睦子さんの肩を叩いてセイブされる。

あらためて聞いてみると、先生は「高嶺ルビーを観たい。高嶺ルビーのお蕎麦を食べたい」一念で信州にやって来たという。「そういうことだったら、やはり氏原睦子さんしかいないではないか。」なぜなら赤い蕎麦《高嶺ルビー》の生みの親は、睦子さんのお父上の氏原暉男信州大学名誉教授(故人)だからだ。
今では、秋の伊那、箕輪一帯はすっかり「赤い蕎麦の里」になっている。それを案内してもらった。
車から下りて、赤い蕎麦畑の中に入ると、クレフト先生は「Oh Happy Happy♪」と呟きながら、いつまで見入っておられる。
昨日は昨日で、先生は塩尻駅の《駅そば》を一人で食べたという。
そういえば数年前、韓国のKBSテレビの蕎麦の取材を協力したときも、プロデューサーから開口一番「《駅そば》を撮りたい」と言われたことがあった。ことほどさように、《駅そば》は世界でも珍しいらしい。
昼食は、駒ヶ根の「そば切り てる坊」というお蕎麦屋さんへ案内された。建物は普通の住宅、蕎麦屋らしくない。四、五年前に大阪からやって来てこの地で開業したという。
クレフト先生はまず《蕎麦茶》を飲んでから、《玄挽き》《丸抜き》《胡麻切り》《蕎麦豆腐》を箸で口に運ぶ。「美味しい、美味しい」と連発しながら。
食後は、また蕎麦畑へ、氏原教授と共同開発したタカノ㈱の畑だった。そこでも、先生はいつまで見ていても見飽きないというような顔をして、長い間、蕎麦の花を眺めておられた。

夕食も当然お蕎麦である。連れて行ってもらったお店は、「手打そば 水車家」(箕輪)。ご主人の斎藤さんはあちこちの蕎麦イベントでお会いする。
お店では《ざる蕎麦》《蕎麦掻》《高嶺ルビーの薄焼き》などを頂いた。《ざる蕎麦》は普通の蕎麦だが、トッピングに高嶺ルビーのスプラウトをのせてある。薄焼きの方は厚さ4mmぐらいはあるだろうか。蕎麦掻状にして焼いたものに、甘味噌が塗ってある。高嶺ネビーのもちもち感が、蕎麦掻状と甘味噌によく合い、美味しかった。

それから、三人で森の中の大芝温泉(南箕輪)へ。久振りの温泉だった。
普通の温泉、水風呂、サウナといろいろある。イワン先生は、窓の外の露天風呂を指して「あれは?」と訊かれる。私は「Hot spring outdoor」なんて、知ってる単語を並べて説明。「ふんふん」と頷かれたが、一日こんな調子だった。英会話の方も私より上手な睦子さんがいたから助かったが、一人ではとてもお相手できなかったろう。

夜は、信州大学農学部のN先生が運営されているゲストハウスに泊まった。
辺りは真っ暗闇、もう寝るしかない。
今日一日、先生とお付合いして感心した。
蕎麦畑に立てば「Happy Happy♪」と口ずさみ、蕎麦を口にすれば「美味しい、
美味しい」と感嘆する。イワン・クレフト先生は、「ソバ博士の前に、蕎麦大好き人間、まさにSobalierだ」と思った。

朝は早くに目が覚めた。外に出ると、一面朝靄に包まれて先が見えない。その中から鳥の声、虫の音がして、時おり胡桃の落ちる音がする。暫くすると徐々に靄が薄らいで、やがて消え、広い草原が現れた。
一帯は「伊那谷」と呼ばれているが、広いから「谷」というより「盆地」といった方が相応しいくらいだ。晴れた叢をよく見ると、蝶や蜻蛉や天道虫などの小さな虫たちが無数に舞っている。
足元には、赤い蕎麦ならぬ、赤い実を付けたイヌタデがたくさん生えている。蕎麦も蓼科(タデ・カ)だが、今の蕎麦と蓼は似ても似つかぬと思っていたところ、前に氏原先生の植物園で「古代の蕎麦」を見せてもらったことがあった。何と、蓼そっくりだった。「やはり、蕎麦は蓼科なのだ」と感心したことがあった。
さらに面白い話をもう一つ。「蓼科(タデ・カ)」と書いて気付いたけれど、氏原先生の植物園がある茅野辺りは「蓼科(タテ・シナ)」ともいう。これはソバ博士・氏原先生の因縁だろうかと感心してしまった。だから漢字って面白い。

  ☆ 赤そばや 女神ほほ笑む 蓼科の秋 ☆

ところで、江戸野菜研究家の大竹先生によると、この赤いイヌタデは食べられない。私たちが鮎や岩魚の塩焼のとき付けている蓼はアユタデというらしい。
目を移すと、大きな樹の元に、蜜蜂の箱が二個設置してあった。覗くと蜜蜂が蠢いている。
イワン先生が散歩から戻って来たところへ、ゲストハウスの奥さんが山羊の乳を搾りに出てこられた。山羊はピョンピョンと奥さんの後に付いていく。
昨夜のうちに、朝食用にと頂いていたので、起きたとき飲んでみたところ、何かのCMのようであるが、コクがあるのにキレがあって、たいへん美味しかった。山羊は、赤ちゃんを産んでから7~10歳までは乳が出るらしい。こんな話も私の耳には新鮮な乳より新鮮だ。
9時になると、睦子さんが赤い車で迎えに見えた。074

今日は昨日よりもっと広い赤い花の蕎麦畑に行くという。
行ってみると、確かに広い。斜面の畑が真っ赤に燃えていた。微かだけど赤い匂いもする。先生も盛んに「smell」と呟いている。
看板には「ヒマラヤ原産の赤い蕎麦は、タカノ㈱と故・氏原暉男信州大学名誉教授が共同で品種改良育成した・・・。」と書いてある。その前で愛娘の睦子さんの写真をパチリ。
ここではたぶん2時間ちかくいたと思う。先生は「もういい。他所へ行こう」とは決して言わない。われわれが「行きましょうか」と声を掛けなければ、もっと蕎麦畑の中で蕎麦の精気を吸っていたのかもしれない。
出入口に戻って、露天の蕎麦屋で「高嶺ルビーの《ざる蕎麦》を頂く。赤蕎麦は少しもちもち感がある。晩秋なら《かけ蕎麦》がいいかもしれない。
昨夜の「水車家」では高嶺ルビーの《薄焼き》と《蕎麦の芽》、今日は《蕎麦切》。これらで先生の目的は達せられたはずだ。先生は、「美味しい、美味しい」と幸せそうである。

帰り際、氏原先生の伊那のご自宅にお邪魔した。暉男名誉教授の奥様が待っておられた。奥様もクレフト先生とはお久振りということであった。
実は、数日後の10月6日のソバリエ講座で、イワン・クレフト先生にお話してもらうことになっている。それを奥様に申上げると、「それだったら京都太秦に『ピカポロンツァ』というスロバニア料理をやっているレストランがある。そこにはスロバニアの蕎麦パンもあるから、取寄せて休憩時間にでも皆さんに食べてもらったらいいわよ。」とおっしゃって、サッと電話番号を差出された。
私も「面白い」と思って、その案にのり、その場で電話注文をした。

さて、一旦お二人とお別れしなければならない。私は明日、東京で外せない用があるから戻らなければ。
睦子さんだって忙しい方だ。これ以上、時間を割いて頂くのは申訳ない。
イワン先生は、伊那からまた塩尻へ行かれた。
私は岡谷から特急「あずさ」に乗った。その車中、うつらうつらしながら考えた。
蕎麦をこよなく愛するイワン・クレフト先生こそ、ソバリエに相応しい。できれば、特別に【江戸ソバリエ認定証】を差上げたいな、と。

〔文・写真 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる