第184話 「ミズカラニヨル」

     

食の思想家たち 十二、追悼 石川文康先生  

 

 平成25年2月10日、江戸ソバリエ・ルシック講師石川文康先生が永眠された。まだ66歳、実に早すぎた。

 まことに残念であるが、仲間のHさんやKさんと一緒に最後のお別れをさせていただいた。

  石川先生と初めてお話したのは平成20年だった。仙台駅の伊達政宗像の前で待ち合わせた。先生は時間ピッタリに姿を見せた。

 そのとき私の鞄の中には石川文康著『カント入門』が入っていた。本には挑むような眼をしたカントの画が載っていたが、その貌と先生はよく似ていた。

 その日は3軒ほどの蕎麦屋さんに案内され、蕎麦をすすりながら仙台の歴史・風土を教えてもらった。

 先生は哲学者である。だからだろうか、話し方には全く無駄がなかった。また蕎麦打ちを趣味とし、蕎麦の本も2冊上梓されているが、その文章も明快であった。

 そのうちの『そば打ちの哲学』を読んで、江戸ソバリエ上級講座の講師をお願いしようと仙台へやって来たのである。

 私は、江戸ソバリエ・ルシック講座(上級コース)を企画するに当たり、その理念を何にしようかと考えた。

 そうだ、茶道を参考にできないか。たかが「お茶」が、されど「茶道」という高処まで昇りつめることができたのは、禅と結びついたからであるといわれている。蕎麦もそのような崇高な趣味の道を望むなら、「哲学」を採り入れなければ・・・、と思った。

 ちなみに、いま「崇高な趣味」と表現したが、先生も蕎麦を「趣味」と位置づけていた。また「崇高」ということをきちんと定義したのはカントだった。 だから先生は、私にとって理想の哲学者であった。

 思えば、平成15年に現在の江戸ソバリエ認定講座(基礎コース)の、テキストを作成したとき、私は「江戸ソバリエの心」という章を設けた。

 そしてそこに「江戸時代の〝義侠〟〝通〟〝いき〟などは町人が育てた町人気質であり、そこに共通する魂は、町人たちの〝自律的な反骨精神〟でした。」つまり、江戸ソバリエの心とは自律心だ、と書いた。

 無論、この〝自律〟という言葉はカントから持ってきた。

 篠田英雄訳『道徳形而上学言論』には、こう述べてあった。

 私たちの理性は道徳的法則をミズカラ創造して自分自身に課する。これを意志の自律という。意志の自律が成立するためには意志の自由という条件がなければならない。この自由は経験的概念ではなく、先駆的理念である。この自由は条件付きである。個人の自由は各人がそれぞれの自分の自由を制限するという条件によってのみ成立する。

 このことを石川先生は、「ミズカラに由ル、即 ミズカラに拠ル。これが自律の原則だ」とおっしゃっている。

 かつて私は、江戸初期の幡随院長兵衛なる侠客を知ったとき、この男こそが町人時代の先駆的な人物だと思った。彼の、男としての、町人としての「義侠心」は、貴族でもなく、武士でもないところの、町人の新しい生き方を、史上初めて町人自身が考えて世に示した規範である、と考えた。

 だから私は、幡随院長兵衛の義侠心をカント流に自律とよみかえた石川先生のいう「ミズカラに由ル、即 ミズカラに拠ル」である。

 一緒に来たKさんは石川先生の本を何度も読み返したという。それは彼が先生の哲学を読みとったからであろう。

 「ミズカラニヨル」。それは「江戸ソバリエの心」にとどまらず、「蕎麦打ちの哲学」でもある。私は石川文康先生の遺影を見上げながらそう確信した。

 

参考:石川文康『そば打ちの哲学』(ちくま新書)、石川文康『そば往生』(筑摩書房)、石川文康『カント入門』(ちくま新書)、『道徳形而上学言論』(岩波文庫)、池波正太郎『侠客』(新潮文庫)、

「食の思想家たち」シリーズ:(第184石川文康、182 喜多川守貞、177由紀さおり、175 山田詠美、161 開高健、160 松尾芭蕉、151 宮崎安貞、142 北大路魯山人、138 林信篤・人見必大、137 貝原益軒、73 多治見貞賢、67話 村井弦斉)、

 

 〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる