外食烈伝「その根底に流れるもの」(八歩)
執筆者:編集部
〈躍動期〉平成12年~22年 (現在進行形)
人間の一生は男性が約80年、女性は約90年の寿命となっている。(単純には言えないが?)簡単に言えば、人間「おぎゃあ」と生まれた時から80年~90年ののち、墓場に入るわけで、“死に向かって生きているのだ”。これはどんなにお金が有っても無くても必然の真理である。その間に「何を成したか、何を残したか」で、一人一人の足跡が重要になってくる。“無為に過ごす人”、“ノーベル賞をもらう人”、“事件に巻き込まれる人”、“大成長する人”等々、千差万別いろいろな人生がある。ある先哲の言葉に「極楽百年の修業は穢土の一日の功徳に及ばず」とある。人間として生まれたからには「何かを残したい」と思うのは常で、「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」の言葉にも通じてくる。その人それぞれに「十人十色」の歴史の1ページがあり、その人生「桜梅桃李」の個性の花が開花する一生と言える。細かいことは読者の選択に任せよう。
翻って、外食産業の流れもこの平成10年~20年代には、各地で「専門料理店」の台頭があり、都心から郊外への転換で、「旨い、美味しい」レストランが芽を出し、脚光を浴びていった傾向がうかがえる。この方程式から、従来、都心に在った専門レストランが郊外に出店し始め、そのオーナーシェフ自慢のカジュアルな料理が老若男女に受け、繁盛していった姿が目立っている。これこそが昭和40年代にあった庶民の「ファミリーレストラン」であり、現在進行形の外食産業につながっているのだ。
昔、奥様方が井戸端会議でよく口にした言葉が、「うちの旦那は東京の高級レストランで、美味しい料理を食べている。」、「それに引き換え私たちは弁当か回転ずしが日常的」というボヤキ。これらを踏まえた形で前述した郊外型のレストランが台頭してきている事実がある。このレストランこそが、昔、高級ホテルやレストランで腕を振るったシェフが定年を機に自分の街へ戻りレストランを開業、自分の料理の味で勝負する、「天下一品」の熟練の味を提供しているのが昨今の郊外の状況となっている。東京の下町にもこれと似た動きがあるのが楽しい。これが正に外食産業の原点に通じてくるのだ。50~60年前の各地方の川魚料理店、天ぷらの店、そば・うどんの店、うなぎ専門店、観光地のドライブイン、デパートのお好み食堂、などが代表格。言ってみればその土地、土地の「専門店の味」がその店の味に出ているのだ。
「百年食堂」なるテレビ番組があるが、各地の食堂で百年続いているのは立派なものである。その店の職人気質の一徹さ、味わいの妙など、丼ぶり物なども日本的な味わいが出て、楽しいものがある。くどいようだが、これが外食の流れを物語っており、「味覚の原点」、現在存在している店が、そのまま続いていくものと思われる。その競争相手には「輸入外食」、「洋風外食」もあるが、最終的には「日本の土壌に根差した店」が子々孫々まで続いていくのではないかと思われる。しかしながら日本人の器用さから、これからの日本の味わいは、洋風文化を組み入れた形の「和食文化」、「和風文化」につながっていくと言えるのではないだろうか。これこそが「日本の外食」の根本である。
ここから「食の原点」は一本しかなく、人生と共に“エンジョイ”するためのバックボーンになってくる。前段でも触れたが、「Eat(食)」、「Drink(飲)」とつながり、「Life(人生)」を謳歌するために「食事」があるのだ。「エンジョイ・イーティング」「エンジョイ・ドリンキング」これが「エンジョイ・ライフ」に通じるのだ。同じく先に味覚の変遷を上げたが、「甘・酸・苦・甘」の味わいは、人類共通であり、世界各国の食事にもこの方程式が当てはまるのだ。「外食」の「外」は「多くの人」と読み、「食」は「人を良くする」と読める。外食産業は「多くの人を良くする」、「感動産業」と言える。