第385話 信州上田の勿忘草

     

☆昭和2年(1927年)、幻の蕎麦屋

 志賀直哉は、軽井沢の千ケ滝付近の旅館で小説『邦子』を書いていたが、なかなかでき上がらないので、家族を東京の両親の元へやって、一人で戸倉温泉へやって来た。
泊まったのは「笹屋ホテル」。そこで直哉は、原稿を書いて、湯に入って、本を読み、たまには千曲川、更級神社などを散歩した。
ある日のこと、直哉は汽車で上田まで出かけて行った。
上田に着いた直哉は俥で街を回った。
上田城、曲輪、芸者町を通った。路次では薩摩琵琶の音も流れてきた。
直哉は蕎麦でも喰おうと思って、車夫に頼むと、彼は小さい橋の脇の「藪」という店に案内してくれた。
車夫が言うには、名代の家らしい。さっそく二階の市松の畳を敷いた広い座敷に座って、注文すると、坊主頭の小僧が蕎麦を持って来てくれた。
蕎麦は黒く太く、強く縒った縄のようにねじれていた、これこそほんとうの蕎麦だと思った。満足した直哉は戸倉に戻るために、停車場に行った。
すると、アーク燈に大きい火取り虫が渦巻いていた。それは風の日の雪のように縦横十文字に飛び交う蜉蝣だった。
「豊年虫といって、これの多い年は作がいいと喜ばれる」と車夫が教えてくれた。
直哉はこの日のことを『豊年虫』という題で発表した。

☆平成28年(2016年)、夢の旅館
昨日、戸倉温泉でそば祭りがあった。そこで講演を依頼されたので、やって来た。そして実行委員会が予約してくれた圓山荘というホテルに泊まった。
朝から温泉にゆったりと浸かって、食事をした後、「せっかくここまで来たから」と思って蕎麦文学ゆかりのホテルとして知られている「笹屋ホテル」の前に行ってみた。
ここで志賀直哉は『豊年虫』という作品を書いたと伝えられ、その部屋は特別室になっているという。そういえば、途中に「豊年屋」という蕎麦屋もあった。
この後、そば祭りの世話人のOさんとお会いすることになっていたので、またホテルに戻った。
それからOさんに戸倉駅まで送ってもらった。
戸倉駅前近くには「萱」という古民家蕎麦屋があった。昨日、通ったときに目に入ったので、ついつい店の戸を開けた。
「古民家蕎麦屋を愛する会」の伊嶋さんが来たら、喜ぶだろうと思いながら、お蕎麦と天麩羅を頼んだ。運ばれてきた天麩羅を見ると、何と《蕎麦寿司》も天麩羅にしてある。こんなのは初めてであった。
Oさんの話によれば、この「萱」は、笹屋ホテルと同族の人が経営しているらしい。それに、そもそもが笹屋ホテルのご先祖はこの戸倉温泉を開発人であるともいう。
さすがは志賀直哉が泊まるところは違うなと感心した。
それから、しなの鉄道に乗って、上田に行った。
志賀直哉が立ち寄った「藪」に行きたかったが、市内に「藪」と付く蕎麦屋は今はなく、幻の蕎麦屋となっている。仮にそれらしい蕎麦屋があったとしても、まだ午前中の早い時間だ、開店は無理だろう。
それでも私は町の通りを歩いて行った。行く宛てもないはずだったが、無意識のうちにある所へ向かって歩いていることを私は知っていた。それは50年ほど前に泊まっていた旅館であった。
私は、大学卒業後、ある会社に入ったが、最初の仕事先が長野県の中信地区だった。当時は支店を置いてなかったので、毎月東京から車で、幾重にも曲がった碓氷峠を越えてこの上田にやって来ていた。ちょうど半世紀前は、大衆車時代の夜明けのときだった。まだエアコンも付いてない車だったが、乗用車そのものに希望がいっぱい詰まっていたような気がする。
そんな時代の旅館暮らしは楽しかった。しかもその旅館には同じぐらいの年ごろの美人姉妹がいた。姉の方が純子さん、妹が恵子さんといったと思う。恵子さんは、和服がよく似合う、笑顔の優しい品のいいお嬢さんだった。
私の足は50年ぶりでも迷うことなく、そこに着いた。
当然ながら、旅館はなかった。跡は更地になっていた。ということは、恐らくご両親もすでになく、姉妹のどちらも跡を継がなかったということだろうと想った。
跡地には、黄色い花を咲かせた雑草があちこちに茂っていた。その様は半世紀昔の夢の跡を象徴しているかのようだった。%e5%90%89%e7%94%b0%e6%97%85%e9%a4%a8%e6%9b%b4%e5%9c%b0
私は「貴女たち、きっと幸せな一生をおくられたことでしょうね」と、名も知らぬ花に語りかけながら、もしかしたら、このような花を勿忘草というのかもしれないと思った。
それから再び、駅の方へ戻った。途中に「みすず飴本舗」があった。昔より、重厚で洒落た店になっていた。店員も老舗の良さがよく表われていた。店は幾種類ものジャムを売っていた。
信州といえば、林檎か、杏が有名だが、杏は先ほどOさんに手作りを頂いていたので、桑の実ジャムを一壜買った。
正岡子規の「くだもの」という随筆の中に信州で桑の実を食べたことが書いてあったが、その記録を読んだのがヒントになって、江戸ソバリエ認定講座の「舌学ノート」のアイディアが生まれたくらいだから、私の頭の中には「信州=桑の実」の印象が残っていた。
駅に着いて、新幹線の切符を買った。時計を見ると、30分以上余裕がある。そこに蕎麦のいい匂いが漂ってきた。駅蕎麦だ。食べたくなった。
販売機でチケットを買った。丼に入った《きのこ蕎麦》の〝温かさ〟が美味しくて、気分は満ち足りていた。

《参考》
志賀直哉『豊年虫』(岩波文庫)

〔文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる