第389話 砂場伝説から、あれこれと

     

Aというカルチャー教室で、蕎麦屋さんで、蕎麦を食べながら、蕎麦を語る会を続けている。
今日は、その13回目。「室町砂場」へやって来た。
当店は《天ざる》を世に出した店として知られているが、もうひとつ《ざる蕎麦》と《もり蕎麦》の違いにもこだわっている。
つまり、《ざる》は更科粉を使い、《もり》は一番粉を使っている。「神田まつや」の《ざる》には山葵が付いているが、《もり》には山葵が付いてない、という例もあるが、各店はいろいろな相違戦術をとっているようだ。
ちょっと面白いのが、「当店は、お客様を化かす《狸》と《狐》は扱っていません」と断っているところが、真面目なようで、どこか可笑しい。

さて、せっかくだから「砂場」の歴史を紹介しなければなるまい。
「砂場」の名前が見られるのは1700年代である。つまり大坂(1730年)と江戸の薬研堀(1751年)であるが、現在に続く「砂場」は1815年の「巴町砂場」と、1848年の「糀町砂場」(現在「南千住砂場」)である。
そのうち「糀町砂場」で働いていた、村松家が「室町砂場」を、同じく稲垣家が「虎ノ門砂場」を開業した。
現在の「室町砂場」は5代目に当たり、「砂場暖簾会」の会長でもある。%e5%ae%a4%e7%94%ba%e7%a0%82%e5%a0%b4

店の2階へ上がると、蕎麦打ちをしている人形が飾ってある。もちろん座って打っているが、江戸時代は蕎麦打ちはむろんのこと、料理作りも、食べるときも座していた。
しかしながら、テレビなどを観ていると、江戸時代の劇なのにテーブルで蕎麦を食べさせたり、屋台の側で立って食べたりしているシーンが時々ある。とんでもない時代考証である。
浮世絵を観ると、当時の人は屋台の近くの道端にチャンと坐って食べているし、福沢諭吉は偶々立って食べざるをえなかったときに、「動物のようだ」と嘆いている。
食べるときのことはまだしも、座って料理していたことを皆に申上げると「へえ」とい意外な顔をされる。そんなとき、「講談や落語も座ってやるでしょう」と食と関係のない話だけど、持ち出すと、納得されるから不思議である。
故・藤村先生(江戸ソバリエ講師)は、「小説『鬼平』が江戸の蕎麦屋を間違って描いていると歎いておられたが、誰かが言った。「あれは教育番組ではなく、娯楽番組だ」と。

間違いといえば、食の評論家で「蕎麦屋をファストフードだ」と言っている人がいるけれど、日本に「ファストフード」、つまり、いつでも・何処でも・同じ味の食べ物を工場で生産する社会が訪れたのは、昭和45年の「大阪万博」以後である。
それから、日本は外食産業時代が始まったのであって、それまでは蕎麦屋というのは家内事業、あるいは水商売であって、工場生産とも、ファストフードとも無縁であった。だから、一軒一軒店によって味が異なるのである。
それを分かりやすく説明しようと思って現代用語で昔を表現するのは、誤った指導である。
と申上げると、またご質問を頂く。
「そのう・・・、」
「何でしょうか?」
「ファスト = 速いということではありませんか・・・、」
「それはそうですけれど、 速さを求めてきたのは料理ばかりではありませんよ。視点がまちがっています。〝速さ〟ということは人類の進歩に関わることです。速くというのでしたら、炊飯器で炊いたご飯、あれはファストフードではありませんね。」
「・・・・・・、」

座して蕎麦を打ちする人形から、話が飛躍したけれど、それもまた歴史の真実を思う一興であろう。

〔文・写真 ☆ 朝日カルチャー講師 ほしひかる