食の今昔物語 2月編 豆まきと雑学

     

 「福は内、鬼は外」という声が聞こえてくる日は節分の日です。炒った大豆を撒く昔からの習慣が各地にあります。節分前後は一年の中でも最も寒くなりがちです。そんな日に魔除けを祈願して家中の玄関や窓を開けっぱなしにして続けてきた伝統行事、豆まきを私たちはどれほど理解しているでしょうか。 

 ところで豆はなぜ大豆と決まっているのでしょうか。最近では地産地消ということから大豆を使わず、ピーナッツなどを使っている地方もあるということですが、それは極めて珍しい例です。無病息災を願う豆まきの習慣は、平安時代に始まったとか、定着したのは室町時代とか諸説紛々ですが、いずれにせよ今日と違って食糧事情が決して良いとは言えない時代であったということは誰でも理解できることです。

 そんな日々の食べ物に苦労したであろう時代に、たとえ鬼退治といえども大事な食糧である大豆を投げつけることが、慣習としてなぜ残ったのでしょうか。 

 五穀、つまり米、麦、あわなどの中の一つが豆です。その代表格が大豆で、たとえ大地が荒れていようが、痩せていようが全国各地で栽培されていました。

 数ある豆類の中でも大豆は特殊な豆です。大豆以外の豆、例えば小豆は煮ないで食べることができません。大豆以外の豆はほとんどがそうです。煮た豆を鬼に投げるとどうなるでしょうか。床や地面に落ちた豆は、形も崩れたうえにゴミなどが付いて食べることができなくなります。

 豆まきに使う大豆はどうでしょうか。炒ってあります。地面に落ちてもゴミを払えば躊躇することなく口にすることができます。部屋の中で鬼に豆を投げるということも、衛生的な配慮があってのことかもしれませんね。外にまくと汚れなどで、たとえ少しでも食べられない量が増えることは間違いないでしょうから。

 大豆は畑のお肉といわれるほどタンパク質が豊富です。お年寄りには、摂取量が減少しがちなタンパク質です。タンパク質の摂取量が極端に減りますと、健康を維持できなくなり老化を早めます。「歳の数だけ豆を拾って食べましょう」という言い伝えも、大変合理的な考えであると思いませんか。

 食べ物を一切無駄にはしないという考えからも、豆まきを通して昔の人々の長年にわたって培ってきた奥深い知恵を再認識することができます。

 さらに一言。鬼は悪魔を意味し、豆を炒ることは、悪魔の目、つまり鬼の目を射るという意味に通じる、という言い伝えがあります。炒った豆を鬼の顔をめがけて投げ、悪魔の目を射り目つぶしにして、悪魔が家に入って来ぬように家内安全を願っての習慣として、現在に至るまで引き継がれてきているのでしょう。

 豆まきと逃げる鬼、この一つの見慣れたシーンにも深いいわれがあることを、子や孫たちにも言い伝え、習慣を残し続けるのは私たちの役目かもしれません。