第406話 美味しいお蕎麦の開発
~ 第17回ソバ研究会より ~
美味しい食材を求めることは、食業界では当然の課題である。
蕎麦界においても、「美味しい蕎麦切を食べたい」とか、そのために「美味しい蕎麦を育てたい」という願いは、長い間の課題であった。
だから関係者は、美味しい蕎麦を育てようと、美味しかった蕎麦切の種だけを選別し、それを育ている。もちろん、この方法はそれなりの道理がある。
しかし、そもそもが美味しさの基準は何かというと決して一様ではない。
おそらく、日本人は「蕎麦つゆ(鰹出汁+返し=醤油)」に合った、冷たい蕎麦切=《ざる蕎麦》に美味しさを求めるだろう。
韓国人は「水キムチ+肉」に合った、冷たい押出蕎麦麺=《冷麺》にそれを求めるだろう。
中国人は、具だくさんの肉汁に合った、温かい蕎麦麺にそれを求めるだろう。
したがって、その国の農家は、その国の麺に合った蕎麦を育てているというのが現実である。さらにいえば、欧米人は蕎麦パンや蕎麦パスタに合ったソバを育てているだろう。
ただ、そういう方向ではあっても、蕎麦の場合はまだ何かが足りない。
たとえば、小麦の世界では、中華麺、パン、餃子の皮、ピッツァ、うどん、天麩羅、ケーキ、お菓子、パスタなど、其々に合った小麦が育種・栽培・工夫がなされている。
あるいは、ハウス物などは、育てるのに温度管理、湿度管理までされている。
であるのに、繰り返すが、蕎麦の場合は、蕎麦麺に合うソバ、蕎麦パンに合うソバ、あるいは冷たい蕎麦、温かい蕎麦に合ったものが意志をもって育てられているわけではなく、風土慣習のままになされているにすぎない。
もちろんこの方法がわるいということではない。ただ、この方法だと生産性・安定性が低い。そのための栽培工夫、いや効率的育種はできないか、蕎麦を遺伝的に改良できないかという課題が常に蕎麦界に横たわっていた。
そんなところに京都大学の安井康夫先生が蕎麦のゲノム解析に成功したというニュースが飛びまわった。
ゲノム、DNA、遺伝子・・・、言葉だけはよく耳にしているが、だからといって十分に理解しているわけではない。
・ゲノムとは、生物をその生物たらしめるのに必須な遺伝情報・・・。
・ほとんどの生物はDNAがその情報を担っている・・・。
・遺伝子を扱う研究技術が進歩するにつれ、遺伝情報のもとであるDNAの全配列を決定することで、生物の多様性に関して重要な知見が得られる・・・。
時折、こんな解説を目にしたりするが、たいていの人はチンプンカンプン・・・。
だから、とにかく安井先生のお話を聞きたいと思っていたとき、韓国平昌で開催される第13回世界そばシンポジューム(2016年9月)で発表されると聞いたので出かけて行ったものの、あいにく日程が合わなかった。
残念がっていたところに、今度は筑波大農林技術センター主催の第17回ソバ研究会(2017年2月)でお話されるというので、「今度こそ」と参加させていただいた。
研究会では、三名の先生が発表された。
その内容は、この数年、蕎麦において「ゲノム情報」の集積が目覚ましく、これらのゲノム情報を駆使することによって、蕎麦の需要形質における遺伝解析が進み、次のような生産性、品種育成への応用がん可能となってきたとのことだった・
○蕎麦の生産性向上
・耐倒伏性向上
・耐湿性向上
・病害抵抗向上
・他殖性の壁を越える。
○新たな品種の育成
・風味向上
・機能性や栄養性向上
・ルチン含有増加
・アレルギー低減化
さて、いうまでもなく和食の基本はご飯であるが、次に日本人の好きな食べ物として麺類を上げることには異論はないと思う。
そのうちの小麦物のうどん・中華麺は日本人に好まれているものの、昼食・間食の域を出ていない。
一方、街の蕎麦店の繁盛ぶりを観れば、今や蕎麦が和食の代表のような存在感が出てきたように感じる。なぜなら、われわれはディナーとして和食を選ぶとき、天麩羅屋や鰻屋へは年に一、二回ていどしか足を運ばないだろう。鮨屋はどうか。これは子供から大人まで人気があるかもしれないが、中身は酒と刺身と最後に鮨とくるから、あまりにも単純すぎて華やかさに欠ける。
その点、蕎麦屋の暖簾を潜れば、お酒と料理、もちろん天麩羅も刺身も、最近は肉料理も見られるが、これらを楽しんだ後に、締めに蕎麦切を何枚か味わうことができる。しかも精白米や小麦粉に比べて、蕎麦粉はカリウム、マグネシウムなどの栄養成分が高い。
であるのに、先述したように日本の蕎麦は蕎麦切に合うように育ててきたかもしれないが、小麦のような目的別に努力してきた道筋が見えない。
だからこそ、蕎麦の遺伝解析を進めれば、さらに喉越しもよく、腰があって、味もよし、香りは高く、色艶もいい。その上に冷たい《ざる蕎麦切》に合う蕎麦、温かい《かけ蕎麦切》に合う蕎麦、《蕎麦掻》に合う蕎麦、《蕎麦パン》や《蕎麦ケーキ》や《ガレット》に合う蕎麦が開発されているのかもしれない。
ああ、何十年後かに、そんな美味しいお蕎麦を食べてみたい♪、
《参考》
・第17回ソバ研究会(1970.2.11)
・ほしひかる「そばの花咲く韓国で・・・」(『蕎麦春秋』vol.40)
〔文・絵 ☆ 江戸ソバリ認定委員長 ほしひかる〕