第426話 肉食動物:草食動物

      2017/06/27  

~ すてーきな話 ~

ちょっとした慶び事があったので「肉でも食べようか」ということになって、茗荷谷の播磨坂にある「中勢以」という肉屋に行った。この播磨坂は春になると桜の名所になるが、昔は「環状3号線」と呼ばれたらしい。ということは、昔は「環1」「環2」もあったのかなどと過去を想わせるほどに、辺りはいい景色である。
慶事だから肉を・・・」という発想は自分でもよく分からないが、たぶん「奮発してご馳走を・・・」という心理であろう。
「お蕎麦はお寺さんの食べ物であったけど、普段は食べられなかったわれわれでも、ハレの日は食べられた ⇒ お蕎麦はハレの日の食べ物」という心理と似ているのかもしれない。

先刻「肉屋」と言ったのは、店頭のショウケースの中に生肉が並んでいて、正に「肉屋」のようだからだ。ケースの中はほとんどが但馬牛を使ったドライエージング。「播磨坂で但馬牛とは、シャレか」と少し笑ってしまう。
肉に詳しいわけではないから、正しいかどうか分からないけれど、東日本では牛の種類が少ないような気がする。しかし、西日本出身の者にとっては古い価値観かもしれないが、「西は牛、東は豚でしょう」感が捨てきれないから、鹿児島牛、佐賀牛、但馬牛、神戸牛、近江牛、松阪牛などと聞くと何となく豊かさと贅沢さを感じる。
さて、そのケースを覗きこんで、客は肉の部位と量を選ぶことになっている。

Tongue, Neck, Chuck Eye, Shoulder Clod, Brisket, Shin Shank, Rib Eye, Short Rib, Short Plate, Strip Loin, Flank, Tender Loin, Top Sirloin Butt, Round, Hind Shank

脂肪の粒子と斑点と筋の見事な霜降り肉も陳列してある。
ある西洋人が「精進料理の日本で、なぜ最高の霜降りをつくり出すことができたのか」と驚嘆していたが、日本人は芸が細かいのだ。
テーブルに着くと「焼き具合は?」と尋ねられる。
初めての店は、無難にミディアムあたりで様子を見る方がいいと思う。

・ロー:完全に生の肉。
・ブルー:ほとんど生にちかい。片面、あるいは両面を数秒焼いた状態。
・ブルーレア:ブルーとレアの中間。片面、あるいは両面を数十秒焼いた状態。
・レア:外側の面だけを焼いた状態。
・ミディアムレア:レアとミディアムの中間
・ミディアム:ほぼ全体の色が変わっていて、切ると肉汁が多く出る。
・ミディアムウェル:ミディアムとウェルの中間
・ウェル:よく焼いたあり、肉汁がミディアムに比ベて少ない。
・ウェルダン:ウェルよりもっとよく焼いてあり、肉汁はほとんど出ない。
・ベリーウェルダン:完全に中まで焼いてあり、切っても肉汁が全く出ない。

そういえば、若いころは、鮨やステーキをよく食べていた。
鮨は新宿の「紫光」、ステーキは六本木の「瀬里奈」に決めていた。もう何十回足を運んだか、わからない。理由は簡単だ。先輩から連れて行ってもらって、「何て、美味いんだ」と舌に刻みこまれたからだ。
鮨は、あま味のある白身の刺身、海の味のする牡蠣。何でも美味しかった。たまに何か別の魚に目を付けようものなら「それは養殖だからダメ」と亭主に釘を刺されることもあった。当時、養殖魚は二流魚だったのである。
ステーキは、焼く時の脂と大蒜の匂いに、ジュジューという音がたまらなかった。食べやすいように、カットしてくれるきめ細かさが、素晴らしい。刺身が静的ならステーキは動的だ

ところが、あるとき、アメリカ人のお客様にステーキをご馳走することがあった。内心では「どうだ。美味しいだろう」と自分の料理でもないのに心の内で自慢していた。
後で、通訳に訊いてみると、「大変美味しかった。お礼を言っといてほしいと言われている」ということだった。「そら、やっばり」と膝を打とうとしたとき、「ただ、ステーキはカッティングすれば、空気に触れる部分の味が殺されて、肉塊のもつ独特の味が楽しめなくなくなるらしいですよ。」
「ナニ!」と腹が立った。が、よく聞いてみると、それは私に云ったことではなく、たまたまアメリカ人どうしでステーキ論議になった内容を彼が私に教えてくれたことだった。「ふーん」と思ったが、それっきりでもう肉談義については忘れていた。
ところが、数年後、アメリカに行ったとき、彼が云ったことが理解できた。
せっかくのアメリカだからと仲間とステーキ店に入った。店内は薄暗い。壁に手をつきながら足を運ぶしまつだ。
やっとテーブルに辿り着いた。座って見回すと、老若男女、皆々、ステーキの塊に喰らいついている。大喰いは数キロぐらい食べる人もいるらしい。彼らは暗い所で肉の塊に喰らいつく。庖丁はいらないはずだ。
われわれ日本人といえば、三人で一番少量のステーキを二人分注文して食べたが、それでも余った。
そういえば、日本の弥生人は銅鐸に臼と杵で穀物を搗いている姿を描いている。対して、西洋ではフランス・ラスコーの洞窟に野牛が描かれているのも当然だと思った。和辻哲郎『風土』によればヨーロッパは牧畜に向いていると言っているが、「あゝ、やっぱり彼らは肉食動物だ」とかぶりつ姿を横目で観て、痛感したものだった。
今日の中勢以のステーキは、どちらかといえば西洋流である。草食動物の小生としては、食べ切るまでに苦闘した。

しかし、蕎麦に関わるようになった今、日本の料理は庖丁料理だということが、さらに理解できるようになった。
とにかく日本人は何でも見事に切る。だから、肉も切ってから煮たり焼いたりする。それが《シャブシャブ》や《すき焼》だ。もちろん《ステーキ》だって、賽の目にカッティングする。それらはもう日本の料理だといえよう。

《参考》
・和辻哲郎『風土』(岩波文庫)
・仮名垣魯文『牛店雑談 安愚楽鍋』(秀選名著復刻全集近代文学館)
・ラスコー洞窟壁画

〔文・挿絵 ☆ エッセイスト ほしひかる