第203話「ご本尊様に拝んでから頂く」

     

食の思想家たち二十、張堂完俊師

 人との出会いが物事を決定するというのはひとつの真実であろう・・・。

 調布の深大寺というお寺の門前に、ズバリ「門前」という蕎麦屋さんがある。そこのご店主浅田さんとはもう十数年のお付き合いになるだろうか。切掛は、そのころ私が在職していた会社に浅田さんの姪御さんがいらっしゃった関係でお訪ねしてからのことであった。それがご縁で「深大寺蕎麦を味わう会」や「深大寺十三夜」の会に参加したり、またある年には深大寺のご住職にシンポジウムのパネラーとしてご登場願ったこともある。

 その深大寺では平成23年から「深大寺夏蕎麦を味わう集い」を開催されている。趣旨はその名の通りで、「夏こそ、蕎麦を食べよう」というわけだ。

 よく、「蕎麦は新蕎麦の時期の秋でしょう」と言われるが、実は蕎麦の消費量は年間のうち、年越蕎麦の12月が3400tと一番多く、次が以外なことに、7月2400t、8月2300t、6月2200tと夏季が多いのである。

 江戸時代、「夏に蕎麦を食べたい」というニーズに応えて、高遠藩や高島藩が寒瀑蕎麦を開発したのも頷ける話であり、ここ深大寺でも「深大寺夏蕎麦を味わう集い」が企画されたのも至極当然な流れであろう。

  さて、深大寺では「夏蕎麦は何処産の蕎麦にしようか」と思っていたところ、ご縁があって豊後高田産の蕎麦にすることになったらしい。

 しかし、深大寺住職の張堂完俊師の胸のうちにはある課題が残った。「深大寺夏蕎麦を味わう集い」と、頭に「深大寺」を冠しているのに、何かが欠けているような気がしたという。

 そういうときに平成24年から江戸ソバリエ・石臼の会による「献そば式」が始まった。ご住職はピンきた。

 「当深大寺のご本尊様に拝んでから食べるのを深大寺の蕎麦というのだろう」と。以来、昨年から夏蕎麦を頂く前に「献そば式」を執り行い、出席者全員がご本尊様を拝んでから、夏蕎麦を味わうことになった。

 これぞ見事な地域理念であると思う。

 話は変わるが、最近トコロジストという言葉を耳にする。その条件というものを考えてみると、以下のようなことになるのではないだろか。

 ・在来品種保護

 ・地産地消

 ・地元加工

 ・地元の工芸・食器の利用

 ・地元の作法・風習の維持

 ・地元の祭・行事・文化の尊重

 この条件の「地元」という言葉に自分の地域を当てはめてみれば、・地元の作法・風習の維持、深大寺の祭・行事・文化の尊重、となる。

 パール・バック『大地』やマーガレット・ミッチェルの『風と共に去りぬ』を引っ張り出すまでもなく、母なる大地には人類の汗と血が染み付いている。

 そんな土から生まれる食べ物だからこそ、トコロジスト→「Jindaijist」の精神は、土地の神様、つまり「深大寺のご本尊様に拝んでから・・・」ということになるではないか。

 参考:農水省「日本食文化ナビ」、パール・バック『大地』(1931年)、マーガレット・ミッチェル『風と共に去りぬ』(1936年)、深大寺蕎麦(第203、155、154、132、128、124、48、36、9、7話)、

 

〔「深大寺 献そば式・夏そばを味わう集い」より☆ほしひかる