第205話 江戸蕎麦料理 ― 夏の章
《蕎麦膳》十二
江戸ソバリエのレディース・セミナー「夏の章」の終了後に、スタッフで林先生のお料理三種を頂きながら、今日の「夏の章」を振り返った。
当初、開催日を8月3日にするか、10日にするか、決めかねた。迷った理由は、食材として使う予定の黄金の真桑瓜の熟成具合 ― 3日に熟しているか、それとも10日か ― を6月時点で予測しなければならなかったからだ。
食べごろの旬を予測することは、農作物すべてにいえることだろうが、とくに真桑瓜は江戸時代「水菓子」とも別称されるほどにフルーツのような熟成度を活かす食材だから、タイミングが問題だった。それでも、実施日を8月10日に決め、あとは天候次第ということにした。
その日の献立については、いつものように林幸子先生が江戸野菜を使った三品を提案された。
◎真桑瓜を合えた蕎麦パスタ、
◎鮎蓼+塩ヨーグルトをカルボナーラ風にからませた蕎麦パスタ、
◎越瓜・茗荷・茄子をぶっ掛蕎麦に、
そして、今回は各々に料理名を付けることにした。
☆一品目は、昨年食べたときの、常緑樹の葉のような真桑瓜の爽やかな緑の味を思い出し、「緑の風の蕎麦パスタ」とした。これは、個人的には、これは私のメイン・ディシュだった。
☆二品目は、先生が「カルボナーラは温かいけど、鮎蓼+塩ヨーグルトを使って夏向きに」とおっしゃったとき、アーウィン・ショーの都会小説『夏服を着た女たち』を読んだばかりの私は、ピンときた。お江戸日本橋だって夏服を着た女たちは似合うだろう。だから、「夏服を着たカルボナーラ」でいこう、と。
☆三品目は、ぶっ掛け蕎麦だという。もともとぶっ掛蕎麦は日本橋で生まれた。5代将軍綱吉のころ(1688-1704年頃) 日本橋新材木町(現:日本橋堀留町1丁目、人形町3丁目)の「信濃屋」がそれを始めたというのが定説である。じゃあ、新たなぶっ掛け蕎麦が今日生まれるということで「日本橋生まれの冷製打掛」とした。
「どうですか」と林先生に提示したら、「うわッ。私はそんな夢みる少女ではない。何だかお尻がムズムズしちゃう」と笑われた。
【夏の章 お献立】
さて、いよいよ8月に入ったころ、大竹先生から「この異常気象で黄金の真桑瓜が熟し過ぎて使えない。代わって本田の真桑瓜にしたい」との連絡をいただいた。
黄金の真桑瓜とは、昨年食べた緑色のきれいな瓜である。その色があまりにもきれいだったので「緑の風・・・」と名づけたのだが、対して本田は真桑瓜の一種であるが、まだ食べたことがない。
大竹先生のお電話を聞いたとき、「しまった。賽の目は『3日にすべきだった』と出たのか!」と思った。
幸い、大竹先生の代替品の提案と、林先生の料理の腕で乗り切ったが、どちらかといえば先読みが得意だと思っていた私は、まだまだ修行が足りないと猛反省だった。
いつでも近所のスーパーで売っている普通の野菜と違って、直接農家から仕入れる江戸野菜は、時には自然天候の影響で予定通りにならないこともある。それが今回だった。それでも全身全霊を込めて時期を予測しなければ完全なるプロデューサーとはいえないだろう。その上で万が一のとき、食材は代替品がいいのか? 急遽他の料理品にするべきか? いつも心しておかなければならない。
「今回は大変な勉強になった」と思いながら「ごちそうさま」の箸を置いた。
参考:205話「夏の章」、190話「春の章」、176話「冬の章」
《 蕎麦膳 》シリーズ(第205、204、190、189、180、176、171、170、166、157、154、153、150話)
〔江戸ソバリエ認定委員長、エッセイスト ☆ ほしひかる〕