第442話 お蕎麦のKoshi

     

蕎麦のコシ度が計るものはありますか?
あるソバリエさんからこんなご質問メールを頂いた。
確かに、そのような物があれば、蕎麦好きにとっては面白いだろうが、日本文化は「だいたい、このくらい」の世界が多く、数値化に弱い。だから、これまでコシ度計なる物の話を聞いたことがないし、おそらく存在はしていないだろう。
ただ、どこかの学生が発表した「饂飩のコシ度について」の論文を何かで見たことがあるが、その内容にはことさら注目すべき点もなかったので、詳細までは覚えていないが、そのときも実験的な計測であって、きちんとしたコシ度計で計ったわけではなかったような気がする。
世の中を見渡せば、塩分計や糖度計もあるし、色の度合も計測できる。
小生も若いころ塩分計を作ろうと試みたことがある。その経緯は小説『コーヒーブルース』に少し描いてみたが、マ、とにかくそんなだから、コシ度計くらいあるだろう、と思ったりするのは当然だろう。だが、そもそもコシというのは朝鮮の冷麺か、日本の素麺蕎麦ぐらいしか求められないほどニーズがないから、コシ度計のマーケーットなんかあまりないのであろう。
「そんなことはありません。うどん、ラーメン、パスタだってありますよ。」という声があるかもしれないが、うどんのコシは、最近言うようになったこと。それまではフワフワがうどんの正しい姿であった。江戸ソバリエ講師の堀井市朗先生も、「フワフワうどんの代表である伝統的な伊勢うどんを、若い人はコシがないと言っている」と嘆いておられたくらいだ。
そういえば、先述の「うどんのコシ度云々」の論文が拙く感じたのは、「うどんにはコシがあるものと思っている」若い学生の歴史認識の浅さからくるものであったのかもしれない。
それから、南イタリアの乾麺パスタに《アルデンテ》が意識され始めたのは17.18世紀ごろかららしいが、それにしても「パスタに、そんなにコシが求められているのか?」という疑問がある。
日本生まれではあるがナポリタンなんか、私は柔らかめが美味しいと感じるし、知人たちとイタリアンのお店に行っても、パスタにコシを求めている人はあまりいないように見える。
それからラーメンだが、確かにふやけたラーメンほど不味い物はない。しかし温かいラーメンに求める歯応えは、冷たい素麺や蕎麦のコシとはちょっと違うような気がする。ただし、これは個人的感触であるが。

とにかく、計測的に関することは将来の課題だとして、その前にコシって何だ?ということになる。
今は《コシ》とカタカナで表記することが多いが、カタカナというのは外来語と、言葉を強調するようなときに使うだけで、本来は日本語にカタカナはない。そういえば、戦後から動植物名はカタカナで表記するのが公式とされるようになったが、あれはマッカーサー旋風の余風をうけた別製語と思ってほしい。

というわけで、《コシ》は本来は《》だ。
つまり、月偏+要、月は肉体だから、コシとは「要」の意味をもっていて、腰からイメージできるのはバネのような弾力感だ。
だから、カタイのをコシと言う人がいるが、それは違うということになる。
柔らかくなった麺を冷たい水で一気に締めればコシが出るから、やはりカタイではなく《腰》だ。

その腰のある麺を最初に作ったのは朝鮮半島の人たちの《冷麺》らしい。
蕎麦粉に緑豆をつなぎとする冷麺を発明したのだが、緑豆はすぐに崩れるので冷水で一気に締める方法を考案したという。その朝鮮の人が麺を食べるようになったのは日本より少し早い11世紀ごろ。
したがって、中国 ⇒ 朝鮮 ⇒ 日本という麺文化ルートに乗って、《腰》のある麺もわが国にやって来たと考えるのが自然だろう。

今夏の江戸ソバリエ認定講座にはニューヨークの知人が受講してくれた。
なので、彼に「コシを英語でどういえばいいか?」と訊いてみたが「う~ん」と困っていた。だから、「Umami 同様に、Koshi も英語にしようか」と言ったものだった。
Umami といえば、江戸ソバリエ講師の伏木先生も「外国の一般の人に Umami を理解してもらうのはなかなか難しい」とおっしゃっていたが、Koshi も同じようなことであると思う。
食べ物には toughと tenderがあるが、「蕎麦は両方をあわせもった koshi麺が美味しいのだ」ということを主張すれば、それこそ koshi麺と umamiつゆの、和蕎麦文化を説明できるのではないか。

・Tough
Koshi麺+umamiつゆ ⇒ 和蕎麦
・Tender

〔文・挿絵 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる