第446話 蕎麦屋には鴨がいる

     

~ 諺も、無形文化財登録へ ~

昔から、お蕎麦屋さんには鴨がいる。
といっても、蕎麦屋の定番《鴨なん》のことである。
あらためて言うまでもないが、「なん=南」は「南蛮」の略、そして南蛮とは外国からの渡来品という意味であり、「南蛮渡来の葱」が略されて、「葱」を「南蛮」と呼ぶようになった。
ところで、日本人が鶏肉を食べるようになったのは早くて幕末か、一般的には明治になってからという。
江後迪子先生の調査研究によると、最初は佐賀藩と福岡藩の武士が食べたていたらしい。というのは、長崎港辺りに居住する外国人たちが食べているのを見て、長崎港を一年毎に管理していた佐賀藩と福岡黒田藩の武士たちが倣って食べるようになったのである。博多名物「水炊き」はその黒田武士の食の名残りかもしれない。
それまでの日本人は、鳥肉といえば山鳥水鳥を食べていた。つまり、雉・鴨などである。
そんなことを、蕎麦の話をするときには《鴨南》のついでによく話すことがある。
それから、昔の農民は‘自然暦’を軸に働いていたということも忘れてはならない。この自然暦というのは四季の変化をよく観ているということであり、そこから‘諺’みたいなものも生まれたりして後世に伝えられる。
というわけで、今回は鳥と蕎麦の諺をご紹介しよう。

鴨が葱を背負って来る。」
「なぜ、鴨と葱ですか?」と、よく訊かれる。
答えは、鴨は寒中が旬、また葱は冬が甘い。旬が同じところから料理としての「鴨+葱」が誕生し、「鴨が葱を背負って来る」という諺にまでになったというところだろう。

蕎麦の分野ではないが、似たようなセット商品に『柚子ゴショウ』がある。
その前に、「コショウ」は「唐辛子」の古称であることを理解しておいてほしい。
なぜかというと、初めに外国から「胡椒」が九州に上陸して来た。次に「唐辛子」が胡椒の代理品として九州に上陸して来た。代理だから当時の人は両方とも「コショウ」と呼んでいた。その慣習を今も九州人は大事に守って、唐辛子のことをコショウと言っている。だから商品名は『柚子ゴショウ』でなければならないのである。
ちなみに、唐辛子が唐から来たかというとそうではない。中国の唐辛子は日本より遅く入国している。
〔胡〕や〔唐〕や〔南蛮〕などが付いているのは、単にわが国にとって外国品という意味である。
とにかく『柚子ゴショウ』は「青柚子+青唐辛子」で作るが、この二つ共、旬が同じ夏期であるため、こういう調味料が誕生したが、元来、激辛かが嫌いで、そして柑橘類が大好きな日本人にとってはピッタリだったので大ヒットした。
またまた話は逸れるが、先日「私は昔から激辛派です」とおっしゃっていた方がいたが、日本人が激辛に挑むようになったのは韓流ドラマ『冬ソナ』以降である。あのドラマのヒットによって韓流ブームが起こり、今や日本の漬物製造は日本伝統の漬物を抜いて、キムチが一位になってしまった。ただ、残念ながら一夜漬け的で発酵が十分でないので、韓国の人から見れば「あれはキムチではない」ということらしい。
とにかく、日本は1000年ちかく和食に激辛は厳禁だったが、ここ10年ぐらいでアッという間にひっくり返った。まさに「塞翁が馬」とはこのことだろう。
主題の「鴨葱」から話が逸脱してしまって申訳ない。

蕎麦雉
これは30年ほど前に佐渡へ渡ったときに聞いた諺である。
蕎麦が熟するころ雉が肥えて旨くなるというから、これも旬が同じところからきているといえる。
何しろ油脂味は魅力がある。特に鳥類はしつこくないから美味しい。
もしかしたら、1810年頃に日本橋馬喰町1丁目の鞍掛橋の近くの蕎麦屋「笹屋治兵衛」が《鴨なん》を考案したのは、この《蕎麦雉》がヒントではなかったろうか。
そんなことを想ったりするが、とにかく《鴨なん》は蕎麦屋の定番になった。

ところで、この「蕎麦雉」という言葉は、雉がいなくなった現在では忘れられてしまっているが、私が歩いた範囲の、韓国や、対馬や、北九州や、四国や、佐渡では、私の父や祖父の時代までは「雉汁の蕎麦は旨い」と言い伝えられていたらしい。
だから、《無形文化財として登録しておかなければ、歴史の真実が失われていくだろう。というのがこの章で言いたかったことである。

〔文・写真(「元祖鴨なん」) ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる