第209話 マンハッタン・スケッチⅢ

     

☆アメリカの狂気と善意 

 

  アメリカは心温まる短編小説を幾つかもっている。オー・ヘンリー(1862~1910)の「水車のある教会」もそのひとつだろう。読めば誰もが、できることならこういう素晴らしい人間になりたいと願いたくなるような物語だ。

 オー・ヘンリーは1902年にニューヨークにやって来た。そしてユニオン・スクェアグラマシー辺りに住み、マンハッタンを歩き回って小説のネタを見つけ、1904年に66編、1905年に54編を発表した。

 そのうちの「賢者の贈り物」」はユニオン・スクエアのレストラン&カフェ「ピーツ・タバーン」で書いたといわれている。

 その「ピーツ・タバーン」へ山岸さんに案内してもらった。歴史を感じさせる黒い建物の外にある椅子に坐って、オー・ヘンリーの気分に浸りながら献立表を見たとき、オー・ヘンリーに「献立表の春」という作品があったことを思い出した。その中に蕎麦粉のパンケーキが登場していたが、当時のレストランでは、蕎麦粉のパンケーキを普通においていたのだろう。

 

ピーツ・タバーン (店と献立表)】

 ところで、冒頭に登場してもらった永井荷風(1879~1959)がニューヨークを訪れたのは、1905年つまり26歳の時である。43歳のヘンリーが短編小説を書きまくっているころであった。

 荷風はブルックリン大橋ハドソン河を見ているし、チャイナ・タウンリトル・イタリーも歩いている。ブロードウェイのニューヨーク座、ハドソン座、ライシューム座も顔を出しているし、広い広いセントラル・パークの片隅のベンチにも腰をかけている。とくにヘンリーが精力的に歩いたチェルシー地区を、若い荷風もよく歩いている。もしかしたら荷風が食事をした14丁目のフランス料理店で、ヘンリーはせっせとペンを走らせていたのかもしれない。とにかく、二人はよく歩いた。ただ、ヘンリーは取材のために歩いているが、荷風は感じとるために歩いたようである。

 「ピーツ・タバーン」の前の通りには大きな葉をつけた街路樹が並んでいた。秋になれば、あの木の葉も落ちるだろう。

 そんな落葉を荷風は、「早熟した天才の滅びるのを見るような気がする」と言っている。「アメリカの木の葉ほど秋にもろいものはあるまい。九月の午過ぎの堪えがたいほど暑く、人はまだ夏が去り切らぬとかこっている中、その夜ふけ、霧の重さに、檞や楡や、菩提樹や、殊に楓樹の大きな葉は、夏のままなるその色さえ変えずして、風もないのに、ぱたり、ぱたりと、重そうに、もの憂げに落ちる。(略)」。

 ちょうど今の時期と同じだが、彼は、日本のように紅葉して落ち葉となるのではなく、アメリカの木々の葉はあまりにも大きいために、重さで落ちると言っているのである。それを「天才の滅び」に結び付けているが、その想像力と予感はF・スコット・フィツジェラルドの『マイ・ロスト・シティ』に通じるところがあるように思う。とすれば、それは大都市、ニューヨークの秋の印象だったのだろう。

 オー・ヘンリーは5年後の1910年に亡くなり、五番街29丁目リトル教会で葬儀が行われた。

  オー・ヘンリーと交代するようにして現れたのが、先述のフィッツジェラルド(1896~1940)である。この度のニューヨーク行きの機中でも放映していたが、映画『華麗なるギャッツビー』の原作者である。ベストセラー作家となったフィツジェラルドはグランド・セントラル駅前にあるビルトモア・ホテルで新婚生活を送り、その後にはセントラル・パーク沿いに建つプラザ・ホテルの隣の、今はパーク・レイン・ホテルとなった所に住んでいた。

グランド・セントラル駅

 セントラル・パーク

【1985年プラザ合意の会場プラザ・ホテル

 自分自身がモデルとされる小説『グレート・ギャッツビー』は、〝アメリカの狂気〟を描いた作品だと評されているが、私は〝狂気〟の正体は〝お金〟だと思っている。伝統や権威の柵のない自由な国ということは、お金によって道を拓くことのできるという意味もある。司馬遼太郎は「ヨーロッパは〝教会文明〟をつくった。アメリカは〝ホテル文明〟をつくった」と述べたが、上流社会への階段もアメリカでは富豪なら昇ることができる。その具体的な目標が、豪華なホテルに出入りすることであった。成功したフィツジェラルドも豪華なホテルに住み、ギャッツビーは連夜のパーティに明け暮れた。

 これまでの文学では、お金が対象となることはあまりなかったが、フィツジェラルドは真正面から富豪たちを文学の対象とした。

 しかし、小説の主人公ギャッツビーは銃で撃たれて、死ぬ。これも〝アメリカの狂気〟である。

 その〝狂気〟の、ある部分を受け継いだのが、マンハッタン生まれのJ・D・サリンジャー(1919~2010)だといわれる。『ライ麦畑でつかまえて』の読後は、何ともいえない不健康な印象をもつ。それは村上春樹の『ノルウェイの森』の読後感と似ているが、まるで精神がライ麦畑や森の中に迷い込んでしまったようだ。これがフィツジェラルドとは違ったタイプの狂気だろう。

 その点、ピート・ハミル(1935~)の『黄色いハンカチ』はホッとする。日本映画の『幸福の黄色いハンカチ』の原作でもあるが、心を洗ってくれる作品である。34丁目のバス・ターミナルからバスに乗った若者たちは幸福な場面を目撃する。お蔭で読者も幸福のお裾分けに浴することができるというわけだ。

バス・ターミナル切符売場】

 ハミルには、『マンハッタン・ブルース』『ブルックリン物語』『ニューヨーク・スケッチブック』などの作品があり、ニューヨークを隅から隅まで知っている。この人も荷風的な日和下駄を履いた作家だ。

 そういえば、童話のような善意に満ちた映画『34丁目の奇跡』では34丁目のデパート・メイシーズが舞台だった。

 アメリカは、狂気と善意が並存する国だ。

  ニューヨークの五番街辺りがおシャレな街として注目されたのは映画『ティファニーで朝食を』(1961年)からかもしれない。それも作家カポーティ(1924~84)の原作(1958年)の力よりも、女優に生まれるべくして生まれたヘップバーンの功が大きい。現に「NYコレクション」は1962年から始まった。しかし、おシャレなニューヨークの芽はずっと早い時期のアーウィン・ショウ(1913~84)の『夏服を着た女たち』(1939年)から出ていた。都会の、ニューヨークの夏はカッコイイ女たちが闊歩しているというわけだ。

 そうしたセンスが映画『プラダを着た悪魔』に続くのだろう。こ;れもまたローレン・ワイズバーガーの原作(2003年)よりも、映画の功績が大きい。なにせファション誌の女性編集長メリル・ストリーブがカッコイイし、助手のアン・ハサウェイが可愛い。

 やはり山岸さんの言うように、ニューヨークは「何でもあり」の大都会だ。

 だが、ファッションも、食も、景気に左右されるところが大きい。 経済の動きに合わせ、ファッションの指針はロマンティックとリアルの間を、食は美味追及とコスト重視の間を揺れ動く。

 五番街を行き交う人々の服装を見れば、まだリアルッポイ女性が多いようだ。来春あたりにはロマンティックな風が世界の都市をつつんでくれるだろうか。

☆ニューヨークを理解するための参考作品Ⅲ

オー・ヘンリー『オー・ヘンリー短編集』(岩波文庫)、スコット・フィツジェラルド『マイ・ロスト・シティ』(中央公論社)、フィツジェラルド『グレート・ギャッツビー』(中央公論新社)、スコット・フィツジェラルド『フィツジェラルド短編集』(新潮文庫)、ジャック・クレイトン監督、ロバート・レッドフォード主演『華麗なるギャッツビー』(1974年)、バズ・ラーマン監督、レオナルド・ディカプリオ主演『華麗なるギャッツビー』(1974年)、司馬遼太郎『アメリカ素描』(新潮文庫)、J.D.サリンジャー『キャッチャー・イン・ザ・ライ』(白水社)、ピート・ハミル『ニューヨーク・スケッチブック』(河出文庫)、山田洋二監督、高倉健主演『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)、ピート・ハミル『マンハッタン・ブルース』(創元推理文庫)、ピート・ハミル『ブルックリン物語』(ちくま文庫)、レス・メイフィールド監督『34丁目の奇跡』(1994年)、トルーマン・ガルシア・カポーティ『ティファニーで朝食を』(1958年、新潮文庫)、ブレイク・エドワーズ監督、ヘンリーマンシーニ音楽、オードリー・ヘプバーン主演『ティファニーで朝食を』(1961年)、アーウィン・ショウ『夏服を着た女たち』(講談社文庫)、デヴットフランケル監督、ローレン・ワイズバーガー原作、メリル・ストリーブ、アン・ハサウェイ主演『プラダを着た悪魔』(2006年)

 〔エッセイスト、江戸ソバリエ認定委員長 ☆ ほしひかる