第456話「歴史を知らずに大人になる不幸」
米田・米澤・米倉・米山・米村・・・。
テレビ番組『日本人のおなまえっ』で放送されたわけではないが、この姓はなぜ「ヨネ」なのか、「コメ」ではないのか?という疑問をもたれた方もおられるだろう。
その前に、稲・米、麦、蕎麦などは日本列島には縄文末期ごろ中国⇒朝鮮半島を経て、九州に上陸したということになっている。
じゃあ当時の人は、それらを、どういう理由で、何と言っていたのだろうか? なんて、どうでもいいような話題に入ってみたい。
一説によると、
麦は、長い芒のような穀物に見えたので、ム=長い+ギ=芒(ノギ) ⇒「ムギ」と、
蕎麦は、屹つ(ソバダツ)ような高地で育つ植物なので「ソバ」と、よんだらしく、
稲・米はというと、稲が「イナ」、米が「ヨナ」「ヨネ」だったとみられる。なぜそうかというと、ナはサカナ(肴)やナエ(苗)のナと同じで、副食を指し、良いという意味を加えたのが「ヨナ」で、「イナ」はその変異形らしい。
というわけで、「物は海外から渡来したが、呼び名はヤマト言葉だった」ようである。
そんな具合で、最初の問いに対する答えは、古代では「米」を「ヨネ」と言っていたから、ヨネダ・ヨネザワ・ヨネヤマ・・・になったというわけである。
ところで、言語学者の松本克己氏の調べによれば、イネ・コメについて日本語と朝鮮語と漢語ではまったく共通性も影響もないらしい。
たとえば、朝鮮語でイネを指す言葉としては「ピョ」「ナラク」、コメは「サル」といった具合だそうだ。
だから、「物は渡来したが、呼び名は現地の言葉だった」の公式は、朝鮮でも同じだったようである。
要するに、物の渡来と言語は無関係であるというのが一つの真実である。
ところがである。現代をよく観てみると、古代とは逆だということに気付く。
たとえば、ある日の夕方のニュースを聞いていたら、「ニュース、ファイル、イメージ、イベント、コミュニケーション、システム、データ、コピー、ネットワーク、リストラ・・・」と次々とカタカナ日本語を使って、報じられていた。
「ニュース」なんかは、もう日本語でどう云っていいか分からないほど、元は外来語でもカタカナ日本語になってしまっている。
これらの言葉は、欧米人が大挙して渡来して、こんな言葉が日本語になったわけではない。
ということは、古代も現代も、人間の渡来とは関係なく、新しい言葉が何らかの理由で生まれているというのが、一つの真実である。
話を「米」に戻して、言語学者によれば、平安・鎌倉時代までは「米=ヨネ」と言っていたが、鎌倉・室町時代以降はなぜか「米=コメ」と言うようになったという。その理由は分からない。
先述の松本氏によれば、チャンバ王国(ベトナム)辺りからの外来語の影響の可能性があるという。しかしながら、人間の渡来と言葉は関係ないとするなら、チャンバ王国からの渡来人が広めたとまでは言い切れないだろう。
そこで、私は「鎌倉革命」の余波のせいだろうと思う。第450話の「鎌倉革命」で述べたように、武家政権の誕生は、仏像制作法までも変えたぐらいだ。
こうしたあらゆる変革の波、そこに「ヨネ」⇒「コメ」と変化した史実の謎があると想う。
こうした歴史ミステリーを尊重するためには、「ヨネ」も「コメ」も大事にしなければならない。
しかるに、一部の人たちは「コメ」とカタカナ表記で統一してしまっている。「米=コメ」一辺倒になってしまえば、「米=ヨネ」であったことが消滅してしまい、日本の奈良時代までの歴史を忘却させることになる。大袈裟にいえば、これも一種の自己否定であり、やってはいけないことである。
よって、われわれは漢字で「米」と表記し、時と場合によって「コメ」と読んだり「ヨネ」と読んだりして、使い分ける方がいい。
先日の新聞に、作家の保坂正康さんが「歴史を知らずに大人になる不幸」と書いていた。内容は日本の先の戦争のことであったが、昭和時代のみならず日本の全史と日本語の歴史についても同じことがいえると思う。
《参考》
*松本克己『ことばをめぐる諸問題−言語学・日本語論への招待』(三省堂)
*第450話 鎌倉革命
《ほしひかるの説》=新しい姓というのは時代の革命期に誕生する。
ⅰ貴族政治が始まった飛鳥時代に古代の姓氏が、
ⅱ武家政治が始まった鎌倉時代に武士の姓氏が、
ⅲ身分制度が崩れた明治維新では平民にも姓が付いた。
しかも姓氏の意味も変化していた。
ⅰ貴族時代には藤原一族、平家一門という具合に‘氏族’で栄えた。
ⅱ武家時代は、源家、足利家、徳川家の特定の‘一家’が中心であった。だから「御家人」「家臣」であり、「お家大事」となった。
ⅲ平民時代は、氏族単位でもなく、家単位でもなく、‘個人’単位になった。
〔文・挿絵 ☆ エッセイスト ほしひかる〕