第490話 《狸蕎麦》新伝説
2018/05/30
北京紀行-本編3
「かけか、もりか」 「狐か、狸か」
何事かと思われるだろうが、健康的な蕎麦界の話である。
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広尾に「天現寺交差点」というのがある。多くの東京人が知っていると思う。もちろん交差点名は目の前にある天現寺毘沙門天に由来する。毘沙門天様だから虎が狛犬のように守っているわけだけど、奉獣年月は天保年間となっているから、一帯を長い年月護衛し続けているようだ。
それはともかく、寺の前を流れる新堀川(現:古川)に「狸橋」という橋が架っている。天現寺交差点(橋)の隣の橋だ。行ってみると誰も通っていない。だが、江戸時代はこの橋しかなかったため、日中は目黒不動参詣などにより、かなりの通行があったらしい。とはいっても、当時の辺りは極めて寂しい場所であったから、あちこちに狸や狐が棲息したと伝えられている。
〔その壱〕
現に、こんな伝説をもつ蕎麦屋が橋の南西に明治まであったらしく、その由来を刻んだ石碑が橋の袂に建ててある。
それによると、子供を背負って手拭いを被った女に蕎麦を売った日、店を閉めてからお金を確かめてみると、それは”木の葉”だった。そんなところから「あの女の正体は、人を騙す狸じゃないのか」と言われ始め、蕎麦屋は『狸蕎麦』と呼ばれるようになり、橋も「狸橋」となった・・・とか。
この店は『白金絵図』(1854年)にも掲載されるくらいの名物蕎麦屋だったが、面白いことに、麻布界隈には「狸蕎麦」伝説がもう一つある。
〔その弐〕
狸穴下 ― 「狸」の字を当てているが「マミ穴下」と読む。マミとは実は穴熊のことで狸ではない。しかし、民間伝承だから、狸のような穴熊のような動物が棲息していたと理解してほしい ― に、『作兵衛の狸蕎麦』といって生蕎麦のうまい蕎麦屋があったという。時の食通にも好評だったが、いつのまにか廃業して今はない。
名の起こりは、江戸城の大奥で暴れ廻わった狸穴の古狸が、内田正九郎という侍により討ち取られたため、作兵衛がその狸を葬ってあげたという。その狸塚は広尾にあったと言い伝えられている。
これらの話は、狸やら穴熊やら狐やらが日常的に出没していたこの辺りに『狸蕎麦』という蕎麦店があったという伝承であるが、みんなが知っているあの《狸蕎麦》なる一品を扱っていたとは伝えられていない。
じゃあ、誰が、いつ頃、《かけ蕎麦》に「揚げ玉」を入れて《狸蕎麦》にしたのだろうか? 謎である。
そもそもが、「揚げ玉」が登場するためには《天麩羅》が世に出てなければならない。天麩羅は五代将軍綱吉の朝鮮通信使の宴席料理にあったといわれているが、その天麩羅がどのようなものであったかは定かでない。一般的になったのは江戸末期頃に、誰かが江戸前の魚介類に衣を付けて揚げてからだという。そうすると、こんな場面は想像できないか。
江戸の町の真ん中に天麩羅屋と蕎麦屋が並んでいた。客は天麩羅屋で天麩羅を買い、隣の蕎麦屋に行って《かけ蕎麦》を注文し、その中に天麩羅を入れて旨そうに喰った。それが《天麩羅蕎麦》の始まりか!
それを見ていた金のない男が天麩羅屋に行って天麩羅のカスだけをもらい、隣の蕎麦屋で《かけ蕎麦》を注文し、その中に天カス(揚げ玉)を入れて旨そうに喰った。それが《狸蕎麦》の始まりか!
よって、江戸末期、あるいはそれ以降に、「揚げ玉」を使う《狸蕎麦》も登場していたであろう。これが謎に対する私答である。
余談だが、麻布十番の「更科堀井」に行く途中に、「全宝大膳神」なる狸の神さまが立っている。まるで自分が江戸の昔の狸であるかのような顔をして佇んでいるのが、この狸も他所から移動して来た狸だそうだから、詳しいことは知らないだろう。
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さて、北京ではどんな蕎麦にするかは大事な課題だ。いわゆる冷たい《もり蕎麦》か温かい《かけ蕎麦》かというわけだ。日本の蕎麦文化を伝えるという使命からいえば冷たい《蕎麦》を供するのが正しいが、中国では温かい麺が一般的だ。ました今回は中学生が対象だから、相手に合わせようということにして、ただし日本人は冷たい麺が好きだということは明確に伝えることにした。
ここで注意したいのがいわゆる《ぶっかけ》である。イベントなどではよく見られるが、外国では止した方がいい。前に、ある蕎麦屋さんに外国のお客さんが来たらしい。その外国人は《ざる蕎麦》や《かけ蕎麦》の写真を見せても、「これじゃない」と言い張った。よく聞いてみれば、誰かがその国に行って蕎麦打ちを見せて《ぶっかけ》にして食べさせたらしい。それで彼はしきりと《ぶっかけ》が蕎麦だと信じているらしかった。その蕎麦屋さんは「やるのはいいけど、ちゃんと説明しろよと言いたい」と云っていた。日本人なら説明しなくても《ぶっかけ》が臨時的な蕎麦と分かるが、外国人はあれが普通の蕎麦だと思ってしまう。
というわけで、北京の若者たちには、ボリューム感のある「揚げ玉」入りの《狸蕎麦》にしたわけだ。「揚げ玉」は先述の「北京蕎麦人」さんに分けてもらった。北京の若者たちは「美味しい、美味しい」と言って食べてくれた。
〔文・写真(狸橋) ☆ 江戸ソバリエ北京プロジェクト ほしひかる〕