第510話 2万4千歩の京都慕情

      2018/10/06  

京都へ行った。直前まで日本中が台風に振り回されていたが、旅の間だけは晴天だった。旅行が終わったらまた台風が来るらしい。

明日、私事ではあるが用向きなので、今日は自由に寺院巡りをした。
先ず訪ねた所は宇治の平等院。極楽浄土の宮殿をモデルにしたという鳳凰堂の、阿弥陀如来坐像の周りには52躯の雲中供養菩薩が宙に浮いたまま音楽を奏でている。菩薩は自分が一番会いたい人物に似ている者として現れるという。その由縁は、極楽という所には、自分の人生の中で一番楽しかったころの、一番幸せな時間をくれた人たちが待っているということなのかもしれない。そうだとしたら、幼かったころの親兄弟や竹馬の友、20代の大学時代の親友や会社の同期生、そしてまだ幼い自分の子たちを抱えた若き日の家族が、時間を越えて皆一緒になれるというのなら、これほどの極楽はないだろう。そんなことを思わせてくれるのが平等院という所かもしれない。

昼になった。旅行の折は郷土蕎麦を食べるのが、ソバリエとしての楽しい義務である。だから今日は《鰊そば》にした。もともとそれは「かんだやぶ」の《穴子蕎麦》をヒントに生まれたというが、もはや京の《鰊そば》は伝統の一品である。

昼食後、ソバリエなら参拝すべき寺社の一つである東福寺へ向かった。前回訪れたのは第1回目の江戸ソバリエ認定講座を開講した平成15年だったから、今日は15年ぶりということになる。景観が素晴らしい通天橋を渡ると、聖一国師(円爾弁円)の開山堂がある。いつ観てもいい建物であるが、この東福寺を開山した聖一国師こそが【日本蕎麦の祖】と呼ぶべき人である。彼が宋の国から碾臼を持ち帰ったから、それまで粒食しか知らなかったわれら日本人は粉食を知ったのである。

次は歩いて泉桶寺へ。ここには南宋から請来した美しい楊貴妃観音様と、伝運慶作の精悍な阿弥陀・釈迦・弥勒の三尊仏様が在す。四躯ともに美しい仏像である。ぜひと拝観をおすすめしたい
他に、ここにはちょっと観てもらいたい建物がある。それが浴室である。私も、写真を一枚撮った。というのは、「寺方蕎麦が独立して蕎麦屋という商売が生まれた」ということと並んで「寺院の浴室が独立して風呂屋という商売が生まれた」と話すときに、実際の写真を使用したかったからである。話だけだと、どうしても「そういうこともあるのか」という表情をされるが、「そういうことも」というような偶々ではなく、全ては寺院が生みの親、それが風呂屋誕生、蕎麦屋誕生の由縁だということを分かっていただきたくてのことである。

陽が傾いてきた。夕食の時間だ。京都といえば知られているのが、懐石料理、湯葉、豆腐、お麩料理などであるが、今回は湯葉料理にしようと思って予約しておいた。
四条から歩いて祇園を通り、花見小路を建仁寺に向かったその先に店はあるらしい。
蕎麦もそうだけど、湯葉、豆腐、お麩という和の食材を使いながら、料理法は1)伝統的な店と2)創作的な店がある。当店は湯葉創作の店である。
もともとは美山という地区で大豆を育てて湯葉を作っていたが、3年前から料理屋も開いたというだけあって、午前2時に湯葉を作って10時までにお店へ運び、料理にするというこだわりぶり。野菜類も新鮮な京物を使っているし、創作の組み合わせも素晴らしく、ほとんどが美味しかった。欲をいえば、最後のご飯に付いていた赤出汁の味噌汁の旨味が足りなかったことだけが惜しかった。
ただ、これはよくある傾向である。風格のある老舗料理屋の料理は心を和ませる旨味に満ちていている。創作料理店の無農薬の地産素材には安心感があり、またその組み合わせに驚かされる。であるのに、創作のつもりなのか、何もかも「塩で食べてくれ」と言われると少々食傷することがある。
「旨味」と「うまい」、この二つがうまく軸となったら和食はさらに美味しくなるだろう。

 ホテルに着いてから、万歩計を見ると24000歩になっていた。何しろ東福寺も泉桶寺も実に広大だった。東京にはこんな広域を持ち続けている寺社はない。
振り返れば、古の京の寺社は宗教・学問・美術センターであり、時には海外文化輸入部門を引き受けたり、あるいは戦時のための兵力を備えることもあったりして、その権威・権力は絶大だった。それゆえに日本文化は京都の寺院を経て、生まれたといっても過言ではない。
そして京の寺社が今も、その広大さを持ち続けているというところに、往古の残影がうかがえる。それは大切なことだし、それが京都という所であると思う。

〔文・写真(泉桶寺浴室) ☆ エッセイスト ほしひかる