第511話 日中麺交流

      2018/10/11  

第2回日中蕎麦学検討会 続編

先日、「第2回日中蕎麦学検討会」を行ったとき、蕎麦打ち体験に参加された大学教授のK先生から、「蘭州から知人が来日するので、一緒に蘭州ラーメンを食べませんか」と誘われた。
『日本そば新聞』に連載している『蕎麦新書』シリーズの中で「麺誕生4000年!」というエッセイを書いたことのある私は、蘭州は最古の麺誕生に関係する所として非常に気になっていたから、一も二もなく「喜んで背行きます」とご返事した。

待ち合わせしたお店は浅草の「老蘭州 蘭州牛肉拉麺」であった。店の人は皆さん中国の人である。
われわれは江戸ソバリエ北京プロジェクトのうちの5名、そして中国側はK先生と蘭州から見えたMさんとK先生の生徒Sさんの3名。
Mさんは、蘭州大学の学生さんだけど、ご主人が東京電機大学に留学されていて、この度卒業されるということでお祝いの来日らしい。皆さんは異国の地で学び、活躍されている。しかもMさんは少数民族の「裕固族」の人であるという。
われわれ日本人はほぼ日本民族といってもいい。しかしアメリカにはアメリカ人はいるがアメリカ民族はいない。中国も同様で中国人はいるが中国民族はいない。先のこの「談義」で、簡単に「モンゴル」と一括りで言ってはいけないと述べたことがあるのも、こういうことからである。われわれ日本人はそうしたことの認識が甘いと思う。

さて、卓に着いた私たちは、さっそく「拉麺」を注文した。
拉麺」の「拉」は引っ張るという意味、麺が日本に伝わったときも引っ張って作っていたが、やがて日本式に「切る」ようになってから、とくに蕎麦は「蕎麦切」とよぶようになった。
江戸蕎麦は「三立て」という美味しさのポイントがあるが、蘭州拉麺にもそれがあるらしい。「一清、二白、三紅、四緑、五黄」だ。すなわち、一)澄んでいるが濃厚な牛骨スープ、二)純白の刻んだ大根、三)赤く浮く特製のラー油、四)新鮮な緑色のパクチーと大蒜の葉、五)黄色く光った歯応えのある喉越しのいい麺。おそらく、古の哲学「五行説」によるものだろう。
麺+大根」という宋の国の食習慣を日本に持込んだのは、聖一国師円爾であると思うが、後の日本では《大根おろし》という独自の薬味に発展したとは、中国文学に詳しい南條竹則氏の言である。
また、聞くところによると本場蘭州の麺は碱水に特徴があるらしく、トルファン産のチイチイ草の灰汁使うと麺の延びがいいという。碱水を使用した麺については元代の『居家必用事類』にも記載があるが、誰が、いつから使用し始めたのであろうか? そういう意味でも、先述の「麺誕生4000年!」(『蕎麦新書 五』)でとり上げた3000年前の麺が出土したトルファン市という西域に“麺ロマン”を感じるのである。
ところで、麺を〝打つ〟という言葉であるが、中国イ族の人たちは、食べるために羊を殺して解体することを〝羊を打つ〟というらしい。この辺にも何か謎解きロマンを感じるのは麺に染まりすぎているせいからだろうか。
さて、目の前では中国の麺打ち職人が引っ張って、麺を細くしている。この店の麺は「細」2mm、「太」3mm、「韮」5mm、「寛」15mmの4種類。しかし本場蘭州では太さによって20種類ぐらいあるそうだが、それを引っ張るだけで作り上げるのである。
日本式の「切り」の技も素晴らしいが、中国式の「引っ張る」技も感心する。こうした手技がアジアの手打ち麺の共通する凄さだと思う

《参考》
*「居家必用事類全集」(『中国の食譜』)
*伊藤汎「麺類ではじまるわが国の粉食史(四)」(『fFOOD CULTURE』No,19・20)

〔文:江戸ソバリエ北京プロジェクト ほしひかる ☆ 写真:高橋正氏〕