第519話 赤い、さんぽ道

     

12月、内藤唐辛子プロジェクト主催(成田重行代表)の「内藤唐辛子さんぽの会」があった。
このプロジェクトは、江戸時代の内藤新宿で栽培されていた内藤唐辛子を復活させたが、うま味のある唐辛子が好評でいま大ヒットしている。
この唐辛子の美味しさの秘密は、学習院女子大学の品川研究室の分析によれば「断トツのアミノ酸量」によるものらしい。林先生という料理研究家に作ってもらった生七味はとくに美味しい。
そんな内藤唐辛子のお楽しみイベントの一つとして企画されたのが、今日の散歩だ。
コースは、内藤家の屋敷跡である新宿御苑、内藤家ゆかりの内藤神社、内藤家菩提寺の太宗寺を巡ってから、新宿「庵」で江戸蕎麦を楽しみましょうという。その蕎麦の会で、「江戸蕎麦についてコメントを」ということで小生も招かれた。
街を歩いていると、時に「おや!」と思うようなことと遭遇することがあるが、今日も幾つかの楽しい発見があった。

☆マスクメロン 
明治期の当地は新宿植物御苑だったらしいが、そこの農業主だった福羽逸郎という人が国産第一号の「フクバイチゴ」を作出したり、マスクロメロンを栽培していたという。驚いたのは、現在ブランドとなっている「とちおとめ」や「あまおう」も、この「フクバイチゴ」から生まれたということだった。
そしてわが故郷佐賀の偉人大隈重信は食関係が話題となったとき、温室で蘭やマスクメロンを育てていたというエピソードが提供されるこが多いが、大隈の趣味に新宿植物御苑の職員も駆り出されていたらしい。
一度、当時のものにちかい「フクバイチゴ」やマスクロメロンも食してみたいものだ。
☆三菱鉛筆発祥の地
内藤神社の隣に三菱鉛筆発祥の碑が立っている。ここで真崎仁六(1848-1925 )という人物が鉛筆を製造したという。彼は佐賀・巨勢町(高尾)出身だが、なぜ佐賀の話を持出すかというと、日本初の製麺機を発明した人物に真崎照郷(1851~1927)という男がいる。彼も同じ佐賀・巨勢町(牛島宿)の出である。つまりはわれわれがお世話になっている饂飩・蕎麦の機械打ちの発明者というわけである。
もうひとつおまけを言えば、私が若い頃勤務していた会社の開発部担当取締役に真島某氏がおられた。ご本人は関西出身であったが、父上は佐賀の出であった。こんなことを列記していると、発明・開発の才は血筋であろうかと思ってしまう。
☆切支丹灯篭(江戸中期)
内藤家の菩提寺太宗寺には江戸中期の頃の切支丹灯篭がある。そんなところから代表の成田さんは「内藤家のある代の人物はキリシタン大名ではなかったか。そして不思議なことに、キリシタン大名のクニは唐辛子の産地でもある」と唱える。これは面白い説だと思う。
私たち江戸ソバリエ協会では「日本の蕎麦は、中国生まれの日本(江戸)育ち」だと申上げているが、「南米生まれの唐辛子を香辛料として育てたのはヨーロッパだろう」。そのヨーロッパから南方ルートで日本へ渡来した唐辛子だ。切支丹とは切っても切れない縁があったはずだ。このあたりをもう少し調べると唐辛子の歴史がさらに明らかになるだろう。
☆赤い内藤唐辛子
歩いていると、ある瀟洒なマンションの垣根に内藤唐辛子が数十本栽培されていた。それを観て私は、内藤唐辛子は大丈夫だと思った。
というのは、以前にある山葵産地を訪ねたとき、その地区の蕎麦屋さんも2軒立ち寄ったが、2軒ともチューブ入の練り山葵を使っていた。その地区の山葵は歴史をもつものでありながら、その後もパッとしない。先ずは地元の人が地産しなければ話にならないではないかと思う次第である。そのうちに内藤新宿のり散歩道は赤い道となる日がくるだろう。

〔文・写真 ☆ 江戸ソバリエ協会 ほしひかる