第530話 奉納 特別席
2019/02/16
千住葱 奉納の儀より
過日、大きな書店のあるコーナーに『奉納百景』という書籍が並んでいた。新刊だからなのか本は封がしてあって開けなくなっていたが、内容はだいたい想像できた。
私たち江戸ソバリエも、これまで慈眼院澤蔵司稲荷、九品院蕎麦喰地蔵尊、深大寺そば守観音、神田神社、国王神社、将門神社、栖雲寺、建長寺など多くの寺社で蕎麦奉納を主催したり、また個人的には縁あって戸隠神社奥の院の蕎麦奉納や、赤坂日枝神社の箸感謝祭などに参列したりした。
こうした奉納が、この本の中に掲載されているかどうかは分からないが、それにしても「なぜ、われわれは寺社に奉納するのだろうか?」
実は今日私は、㈱葱善の田中社長様から「千住葱の奉納がある」と教えてもらっていたので、浅草神社へ来ている。
蕎麦屋では《薬味》や《鴨なん》の材として欠かせない存在であり、「更科堀井の会」に出席されている皆さんも「千住葱は美味しい」と口をそろえておっしゃる、あの千住葱だ。
奉納の儀は、そうした日頃の感謝の念と当年の豊作祈願を神仏への献上という形を通して‘カミ’に、願い伝えるわけだ。
こうした奉納の儀は、寺社という厳粛な雰囲気の中で執り行われるが、それがいい。下げた頭の上を涼やかな鈴の音が過ぎる一瞬に、あるいは数名の僧侶の読経に心地よく包まれる一時に、神仏を超えた‘カミ’が認めた特別席に座しているような幸せ感がじわじわと浸ってくる。
カミとともにあるという特別感、これが奉納の境地であり、人間にとって一番大切なことだと思う。
だから、われわれは古からの奉納の儀式を忘れないのである。
終わってから、葱善の皆様と写真を撮った。
そして、御朱印を頂きながら、「お昼は《鴨なん》にしようか、それとも尾張屋の《かしわ南ばん》にしようか。」と思いながら、駅の方へ向かった。
〔文・写真 ☆ エッセイスト ほしひかる〕