第567話 講演のスタイルは?

     

上越市での講演会から

新潟講演シリーズの最後は、上越市だった。
上越市というのは昔の高田市・直江津市のことである。
個人的には半世紀ぶりの訪問だったが、上越妙高駅前に立ってみると一帯はまるで見知らぬ土地だった。
さっそく駅からタクシーに乗って会場へ向かった。それでも右手に屏風のように連なる雪の妙高だけは、ああ昔とちっとも変わっていないと思った。
今からおよそ800年前の古に、この地に流されて来た親鸞は出会った三善為則の娘(後の恵信尼)と夫婦になったという。
僧侶の妻帯は宗教革命的大事件だったが、聳える妙高山もそんな親鸞夫婦を見ていたのだろうか。妙高山はいつのころからか阿弥陀如来の坐す山と言われるようになった。
大学を卒業して某社に入った私は、最初の一年間は営業研修のために、奇数月は新潟県を担当する先輩、偶数月は長野県を担当する先輩の補佐になった。後に新潟にも長野にも支店が置かれたが、当時はそれがなかったために毎月20日は旅館暮らしだった。あとの残りが東京で独身寮住まいというわけである。
私は、50年前の高田の、懐かしい鴈木の街の光景や、朝起きたら二階から出入りしなければならないほど地上が雪に覆われていたことなどを思い出した。東京から乗ってきた車がすっぽりと積雪に埋もれているのである。
今日の話もそんな話から始めたところ、前の席の方が肯いておられた。私は壇上の縁まで近寄って行って、その方に向かって「そうでしたよね」と申上げたら、懐かしそうに笑っておられた。
講演というのは事務報告会でもないし、学会の発表会でもない。それらは一種の証拠主義といえるから発表そのものが目的であり、聞く人を説得する必要はあまりない。しかし講演や授業は、内容を少しでも分かってもらうためのものである。そのためには工夫が必要である。一時は映像がその手段であったが、最近は情報提供だけでは満足されない。昔のように人間的接近が大事になってきた。だから私も壇上を歩いたりする。先週の鶴太郎さんもやはり壇上の縁まで行って、語りかけるようにして話されていた。
だが、今日の私の後の講演「やさいの時間」の深町貴子さんには驚いた。ずっと客席の間を歩き回りながら話されているのだ。たとえれば、小学校の先生が子供たち一人ひとりに終始語りかけられているようであった。ここまで徹底されているのは初めて拝見した。これが彼女の講演スタイルなのだろう。
私にはとても真似できないが、勉強になった。

 その夜は、一寿さんとゆっくり話そうということで、くびき野温泉に泊まった。温泉は身体が温まるいい湯であった。
ホテルの窓には高田平野を東西に連なる妙高山があった。惚れぼれするような真っ白い山脈であった。
人々の営みは何年か毎に変化する。それが文化、歴史である。だが、山や海は変貌に対してそんなにせっかちではない。だからこそ神々しいのである。

〔文・絵(妙高山) ☆ エッセイスト ほしひかる