第589話 雅な《蟹の菊花巻き》

     

~ 最近美味しかったもの ~

 二重橋が見える楠公レストハウスで和食文化国民会議の集まりがあった。二重橋は皇居の象徴的な橋であるが、江戸城時代は当然ながら木の橋だったのだろう。と思って、木造二重橋の絵を描いてみた。
このレストハウスで開催される懇親会の時のお箸には菊の御紋が付いており、しかも使ったお箸は持ち帰っていいことになっている。
先ずは《二重橋》という銘柄の《菊酒》が振舞われた。それからお料理に箸を付ける。その中のお刺身は《はまなす花酢を合わせた煎り酒》を付けて食べるのだという。はまなすは雅子皇后さまのお印だから、ここ二重橋を目の前にして頂くのが一番だろう。
この日も安部総料理長による苦心の御献立が並んでいるが、中でも「これは!」と思ったのが《蟹の菊花巻き》であった。蟹の肉を雅な菊花でかなり厚く巻いてあるので、花弁を感じさせないシャキッとした歯ざわりがなかなか粋だと思った。

さて、最後の懇親会のことを先に述べてしまったが、メインは佐藤洋一郎先生のお米の話だった。佐藤先生は穀物全般についてお詳しい方だ。過日、江戸ソバリエ北京プロジェクトでユウ麺を作ったときにも、佐藤先生のユウ麦の文献を参考にさせてもらった。なので、今日は北京プロジェクトのメンバーも誘っての出席だったが、どうしても蕎麦の渡来についての質問もしたかった。
それは何かというと、京都大学名誉教授の大西近江先生は栽培栽培は5000年前から始まったとの仮説を出されている。なのに北海道ハマナス野遺跡から、縄文前期末の遺物包含層から一 粒ではあるが炭化したソバの種実が出土したため、北海道でのソバ栽培が縄文時代前期(約7,000 - 5,500年前)末まで遡るという見方が出てきた。
しかし、ちょっと待てよ。人類がメソポタミアで植物の栽培、つまり麦を作物化し始めたのは一万年ぐらい前、そして中国の産地での栽培蕎麦が5000年前。なのに、北海道では同時期に、あるいはそれ以前に蕎麦栽培?
いくらなんでも、一粒ですべてを語るのは危険ではないか。そこら辺のことをお尋ねしたかった。すると、先生のご返事も、やはり「まだ疑わしい」とのことだった。
人類は、いつから、何の植物を栽培=作物化を始めたか?
人類史で最重要な事ではあるが、初期の栽培は簡単な植物類からだろうと想像する。そういう意味では蕎麦もその中の一つではあるが、北海道が日本における蕎麦栽培の最初の地というのはありえないと思う。なぜなら、北海道に蕎麦文化の歴史的足跡が残されていないからである。今のところ、そう考えている次第である。

追記
翌日から新潟へ出張した。仕事が済んでから友人と温泉へ行ったら、玄関に《はまなす》がたくさん咲いていた。オヤオヤ♪ 昨日お世話になったばかりではないかと思いながら、写真を撮った。

《文・絵・写真 ☆ 江戸ソバリエ協会 ほしひかる