第600話 北京・貴州紀行5
2019/12/02
~ 幻の古代夜郎国、そして蕎麦の起原地昆明国 ~
高速道路を走っているとき、右手前方に巨人のオブジェが見えてきた。
この旅ですっかりお世話になっている孫先生が指さして「この辺りが古代の夜郎国です」と言った。
さらに走ってパーキングエリアで休憩。そこにも夜郎文化を説明した大きな看板が立てられていた。書かれている中国語は読めないが、話は約2000年前に遡ることである。
『史記』には、白馬、冄駹、筰都、邛都、滇、昆明、夜郎(貴州省福泉県~雲南省東部)、且蘭などの国々が存在していたと記載されている。その他にも、蜀、巴、徙、嶲などもあったという。
そこへ登場したのが、かの漢の武帝である。彼は大望をもった。中国の西南一帯をわが物にして、ミャンマー→インドへの交易路を確保したいと考えた。そのために西南諸国は武力によって制圧された。それは前漢・後漢にわたる長き戦いであった。その中でただ一つ最後まで抗戦した国があった。
それが昆明国である。昆明人は数万人もの仲間が虐殺されても、何十年にわたって抵抗を続けた。最後はゲリラ戦になってなおも守り続けたが、やがては自滅していった。
しかし、結果としてはこのため漢帝国の野望は阻まれ、インドへの交易ルートは西域ルートへと変更を余儀なくされたのである。
時代は変わって、三国時代に入ると一帯はまたも攻められ、最後に留めを刺したのは諸葛孔明であった。彼は三国志劇では英雄だが、現地民族にとっては冷酷無比の鬼だった。滇国などは三方から同時攻撃を受け、徹底的に壊滅させられた。
さて、ここで江戸ソバリエとして注目したいのは昆明人の正体?である。
古代昆明国、それは現在の昆明市の場所ではない。そこは古代滇国の地であって、古代昆明国は現在の大理市から洱海一帯にかけて存在した国である。
そして、そこは京都大学の大西先生が唱える栽培蕎麦発祥の地である「金沙江や瀾滄江の高山峡谷地帯」も含むか、近いだろう。だから、そこに住む昆明人は何族だったのか? と気になるのだ。しかしながら、中国史では手を煩わした昆明人との戦いについての記録は少ない。だが、手がかりがないわけではないだろう。
たとえば、『中国少数民族辞典』(1991年刊)をくわしく見れば、古くは金沙江や瀾滄江の2000m峡谷地帯に住んだ民族として傈僳族、阿昌族、普米族がみられるらしい。うち、傈僳族、阿昌族は現在でも蕎麦を栽培し、食している。
では、これで決定ではないかと思うだろうが、そうはいかない。
なにしろ、中国史は戦いの連続である。上記のような戦争によって、民族はかなり移動している。そして彼ら敗者の民の記録はない。
さらには中国は広大である。だから自分の足で旅した経験だけで述べれば、群盲象を評することになる。よって全土を俯瞰した資料が望ましい。というわけで『中国少数民族辞典』を参考にしてみたが、中国の変化は著しい。われわれが訪ねた7年前の中国と昨年は大きく変化しているし、昨年と今年でもまた違う。それは中国現代史から見てもそうだ。戦前と戦後、文化大革命の前と後、オリンピックの前と後で様相が全く異なる。だから全史を俯瞰した史料が望ましいということになろうが、戦闘に明け暮れた多民族の中国史を他国の者が理解することは難しい。
それでも、もがいて史料を漁ったり、現地へ行ったりするわけだが、時には現地でハッとさせられたことがある。
この度もそうだった。雲南・四川・貴州では「蕎麦とは苦蕎麦のこと」を言っているのである。
「雲南・四川・貴州は苦蕎麦、内蒙古は甘蕎麦(普通の蕎麦)が多い。それは土が違うから」だと現地の蕎麦関係者は言う。
ほとんどの資料はそんなことはお構いなしに一言で「蕎麦」と表記されている。民族学者にとって蕎麦の細かい種類など構わない訳だが、江戸ソバリエはそうはいかない。
苦蕎麦? 甘蕎麦? これが明確でないと訳が分からなくなってしまう。なぜなら苦蕎麦は中国南部にほぼ留まってている「郷土蕎麦」みたいなものだが、甘蕎麦は日本・韓国・欧州へ広がった一般的な蕎麦だから関心度も高いと思う。
ともあれ、ここでは初めに戻って、「5000年前に、傈僳族や阿昌族あたりが甘蕎麦の栽培を始めた」という仮説にしておこう。
なお、余計なことだが、苦蕎麦のことを「ダッタン蕎麦」と言い出したのは誰だろう。ダッタン人すなわちタタール族はロシア南方の遊牧民族、苦蕎麦の産地である雲南とは全然方向が違う。ダタール族はモンゴル族のことという人もおられるが、モンゴル人とタタール人はもともと民族が違う。
現地で「日本では苦蕎麦のことをダッタン蕎麦と言っています」と申上げたら、目が点になっていた。
参考:白馬(甘粛省南部~四川省)、冄駹(ゼンボウ・四川省阿壩)、筰都(四川省雅安)、邛都(キョウト・四川省西昌)、滇(雲南省中部)、昆明(雲南省大理)、夜郎(ヤロウ・貴州省福泉県~雲南省東部)、
〔文・写真 ☆ 江戸ソバリエ北京プロジェクト ほしひかる〕