第603話 北京・貴州紀行8

      2019/12/02  

~ 天壇の創造 ~

中国・北京の象徴といえば、天壇と紫禁城(故宮)である。
というわけで、天壇と紫禁城の絵を描いてみた。もちろん出来栄えは拙稚であるが、描いている時間というのはいろいろ考えたりして楽しい。たとえば、「天壇」とは何か? といったようなことを・・・。
それは日本人に耳慣れない言葉であるが、「天壇」とは中国の皇帝によって行われる祀天祭地の場、つまり皇帝が、天に向かって天下統一と泰平を大きな声で叫び、同時におのれが天命をうけたこの国の王であることを広く庶民に宣布する劇場みたいな所であるらしい。
そして紫禁城は、その皇帝が政治を営む城である。
よつて、天壇は権威の場紫禁城が権力の場といったところであろうか。
なにしろ、天に認められた皇帝である。中国皇帝の権威・権力というのは絶対である。それゆえに「中国には神仏はいない」とまでいわれるわけであるが、だからといってもちろん神仏がいないわけではない。たとえば中国仏教などは周辺諸国に多大な影響を与えた。
そもそもが中国に仏教が伝来したのは歴史上では漢の時代あたりといわれるが、事実上は5世紀頃である。しかしながら、入ってきた仏教は天の代理人である皇帝を越えることはできなかった。仏教はまさに中国皇帝の手の中にあり、小さな文化として扱われたのである。
そこが「歴史的に仏教は中国を征服できなかった」ともいわれる所以である。
一見して、宗教はみな同じように人々の人生、生活に深く関わっているように見えるが、中国仏教は世界宗教のキリスト教やイスラム教などとは異なる。それは宗教の質の違いではなく、歴史に因るものだと思う。今日、仏教は他の宗教に比べ、平和的だといわれたりするが、そうしたのは皮肉にも中国の皇帝であった。
そういう中国仏教を取り入れた日本仏教もまた然りであることはいうまでもない。

〔文・挿絵 ☆ 江戸ソバリエ北京ブロジェクト ほしひかる