第616話 続・長~い麺の話
ラグマン文化圏
前話を読んだという谷岡さまから寄せられた情報によって、ウィグルの《ラグマン》がウズベキスタンにもあることが分った。ただしウィグルは《皿うどん》、ウズベキスタンは《汁うどん》の違いはあるようだ。そういえばキルギスタンには《5本の指のうどん》という面白い名前のうどんがあるというのを聞いたことがある。いずれも羊の肉を使っている。「羊という動物は草の上方部分だけを食べるから、土まで食べる牛(狂牛病)や豚(豚コレラ)のような病気がないから安心」とは遊牧の民の主張である。
地図を見ると、ウィグル自治区・キルギスタン・ウズベキスタンはお隣どうしだ。それなら続いて接しているタジキスタン・トルクメニスタン・カザフスタンにもうどんはあるのか・・・!と、一大麺地帯の想像図が膨らんでくる。
これら一帯は中央アジアということになるが、もう少し行けばユーラシア、ロシア。それらの国は蕎麦の《カーシャ》や《ブリヌイ》を食べているが、なぜか蕎麦の麺はない。それに、ここまで行けは、距離も話も遠すぎて手におえない。
話をアジアに戻せば、九州大学の西谷正や考古学者の藤本強らの論文によれば、新石器時代の新疆ウィグル自治区、内モンゴル自治区、華北、朝鮮半島、日本列島からは「鞍形擦り臼」が出土しているという。つまり麺の時代の前には、麦・粟・どんぐりなどの粉文化地帯だったというわけだ。
それは日本でいえば縄文時代である。縄文人はドングリの灰汁を取るために、縄文土器を発明したことは定説になっている。・・・とまあ、話は尽きることがない。
楡皮文化圏
ところで、《ラグメン》を食べたころ、天野様から韓国ドラマ『オクラン麺屋』のDVDが送られてきた。
いい映画だった。《冷麺》を軸として朝鮮民族、父子愛、父の昔の恋、息子の現在の恋が絡んでゆく。江戸蕎麦でもこんな映画が制作できないだろうか。
なにせ、「オクラン」というのは父親の若いころの最初の妻の名前だというところが振るっている。妻が北鮮へ一時帰国したときに戦争が勃発。以来離れ離れというわけである。
ところで、ドラマの中で楡の皮を粉にしたものを混ぜて蕎麦を打つと、香り高い、すっきりした後味の《冷麺》ができるという話が出てきた。
韓国の《冷麺》はサッパリした汁が魅力で、はまってしまいそうになるくらいだ。だが、それは汁に梨を入れているせいだけど、この楡のことは初めて聞いた。
楡の皮を粉にする話は、中国の『斉民要術』(6世紀)や日本の『延喜式』(927)に掲載されている。『斉民要術』にも『延喜式』にも、楡の皮を搗いて粉にして飲食用にしたこと載っている。
また『万葉集』には、「難波江で採った草蟹を楡の皮の粉と一緒に搗いて砕き、塩辛く塩を垂らして瓶に入れて製した」とある。これはわが故郷佐賀の名物「蟹漬」(「ガニツケ」または「ガンツケ」という)という塩辛の祖だ、と食べ物史研究家の世界では定説になっている。ただし現在の「蟹漬」は楡ではなく唐辛子を使ってある。いわゆる「ご飯の友」であるが、蟹の甲羅のジャリジャリ感が佐賀人以外には耐えられないだろう。
とにかく昔の平城・平安の頃は、干物・生物が中心の料理であり、あとは調味料として塩(鹹味)や梅(酸味)や楡の粉(辛味)が置いてあって、それを自分で適宜付けて食べていたらしい。
それが鎌倉時代になって出汁が誕生してから必要がなくなり、そうした食べ方は和食の世界から消えた。
そして明治や戦後になって洋食が入ってきた。卓上には洋風にソルトやコショウなどが置かれるようになった。よくレストランなどで紳士然とした人がライスに一振りソルトをかけ、《カツレツ》をフォークとナイフで上手に食べている姿に、学生のころ「へえ!」と思っていたものだったが、何のことはない。西洋の調味料の使い方は日本の古代のやり方じゃないかといえば言い過ぎであろうか。
余談だが、あの卓上コショウには表示していない蕎麦粉が入っているそうだが、アレルギーの人は大丈夫だろうか。
で、映画の話に戻して結論をいえば、楡においてもまたもや「中・朝・日文化圏」が存在することを知ったわけである。
〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる〕