第621話 お蕎麦は和食です。
『はなの味ごよみ』という長編小説がある。すでにシリーズ五冊目が刊行され、さらに続くという。作者は高田在子さん。ソバリエのKさんからご紹介された。蕎麦について何か情報があったら・・・ということだと思う。
ただ私は、蕎麦も当然和食だと考えている。切る、洗うなどの技術や、つゆにしても和食そのものである。
だから外国に行った場合、和食の観点から、あるいは日本人の特質から蕎麦を説明した方がてっとりばやいことがある。また、蕎麦の技術指導的立場になる人も、先ずは和食のことを知るべきだと思う。
そんなわけで、高田さんに江戸料理研究家の福田浩先生をご紹介した。
お二人のお話は一、二時間続いたが、私にとっても大変勉強になった時間であった。福田先生のお話の中で一番ハッと思ったのが、料理職人の世界は分業だということであった。刺身(切る)、煮物(煮る)、焼物(焼く)担当、糠漬け、飯炊き担当・・・、ほぼ生涯担うのが基本であったという。これはよく耳にすることであるが、聞き流せないことだった。
考えると、江戸の蕎麦屋は分業だった。蕎麦粉は蕎麦製粉屋、蕎麦切は蕎麦屋。その江戸の蕎麦屋は天保年間には、板前、釜前、中台、花番、外番と職制が分れていた。板前は、木鉢の中の蕎麦粉や麺台上の生地だけに集中できたから均等な細切りが生まれ‘喉越し’のいい蕎麦が完成した。釜前は、釜の中の麺だけを注視できたから茹で時間を繊細に利用して‘腰’のある蕎麦を完成させることができた。
このように分業によって各々の分野で、専念しておいしさを追求し、技術が磨かれたから、江戸蕎麦の特質である‘喉越し’も、‘腰’も生まれたのではないかと思えてくる。
そんなことを想像していると、お江戸日本橋や浅草の蕎麦職人たちの姿や、蕎麦屋の賑わいが見えてくるような気がした。
〔文 ☆ 江戸ソバリエ協会 理事長 ほしひかる〕