第633話 コーヒーの名探偵

      2020/05/06  

☆シャーロック・ホームズ
名探偵シャーロック・ホームズの名前は誰でも知っている。コナン・ドイルが生んだ小説上の探偵だ。しかしわれわれから見れば、彼の小説ではホームズが食事をするところがない。それはホームズが推理に集中したいからだということになっているからだ。
ただ、たまにカリカリ目に焼いたトーストとマーマレードにコーヒーという場面が出てくることがある。これは作者のコナン・ドイルが医者になるために一人住まいしていた学生時代の定番だったという。そのジャムとマーマレードは母が作って、送ってくれた「おふくろの味」らしい。
作品というのは個人の人生がどこかに表われるものだが、コナン・ドイルの母思いもそのひとつだろう。
ところで、コナン・ドイルに『海軍条約文書事件』という作品がある。ここでは珍しく朝食が重要な場面として扱われている。
~ テーブルの準備が整い、ハドソン夫人(下宿のおばさん)がお茶とコーヒーを持って部屋に入ってきた。彼女は三つのドームカバーをした朝食を持ってきた。ホームズら三人は皆テーブルに着席した。
三つのドームのうち、一つはカレー風味のチキン料理、もう一つはハムエッグ。もう一つを開けてみると・・・! 何と、事件解決の回答が入っていたという仕掛けである。
それからホームズはコーヒーを飲み、ハムエッグを食べ始めた。食べ終わると、彼は顔を上げ、パイプに火を点けて、事件の経緯を説明した。~ というわけである。

☆エリキュール・ポアロ
名探偵とコーヒーといえば、アガサ・クリスティは名探偵エリキュール・ポアロによくお茶やコーヒーを飲ませている。ただし描写は控えめである。
「よく飲ませている」のはクリスティがコーヒー好きだからであるが、「控えめな描写」はポワロはコーヒーよりチョコレートが好きだという設定からである。
そのアガサ・クリスティに『ブラックコーヒー』という作品がある。このようにストレートな題名の小説は珍しい。ただ、コーヒーが殺人の武器として使われる推理小説は結構ある。というのは、茶葉類の飲み物よりコーヒーの方が味覚、つまり酸味・苦味の幅が広いからである。だからこのコーヒーは苦いなと思っても怪しいと思うまでにはいたらないというわけだ。
案の定『ブラックコーヒー』の被害者は「今夜のコーヒーはばかに苦いな」と言い遺して、亡くなった。
それにしても、苦味は嫌な味覚のはずなのに、はまったら癖になるところが、不思議である。苦味成分には、抗酸化作用やデトックス作用があり、体の調子を整えてくれると聞くが、そんな理屈よりやはり熱いコーヒーは美味しい。それが証拠に小説では必ずと言っていいほど「熱いコーヒー」と表現されていて、「熱い紅茶」という言葉はあまりお目にかからない。

さらに、クリスティには有名な『オリエント急行殺人事件』がある。そこでもコーヒーは例のごとく「控え気味に」描かれている。
推理小説と列車という組合せは、松本清張の『点と線』もそうであるが、魅力的である。いずれもミステリーファンの要素と鉄道ファンの要素が重なったため大ヒットした。
それにしても昔の列車は寝台車と食堂車しかないのになぜこうも人気があるのだろうか。私も帰郷の際にはよく利用した。
しかし、新幹線が増えてから寝台列車も食堂車も廃止されてしまったので、つまらなくなった。ということは、鉄道ロマンの源は夜を走る寝台列車と、流れる景色が見られる食堂車にあったということになるのだろうか。いずれにしても昔の列車はよく揺れていた。それがまたよかった。
さて『オリエント急行殺人事件』では食堂車にみんなが集められ、ポアロの推理によって事件は解決するのだが、結論は粋な計らいで終わっている。

☆オリエント・エキスプレスのコーヒー・カップ
オリエント・エキスプレス」といえば、独自の感性ある文で評価が高い須賀敦子が瞼があつくなるようなエッセイを残している。
それは「オリエント・エクスプレス」が大好きな父の病床へ「オリエント・エクスプレス」の食堂車で使用するコーヒー・カップを事情を話して、分けてもらって持参するという、臨終する父と娘の心の交流の話である。最後の晩餐ならぬ最期のコーヒーみたいな話に胸があつくなる。
この他、須賀には橋にまつわるエッセイがある。すこし足の悪い女性が石橋を歩いて渡るときハイヒールの音が響いた・・・、といった内容のエッセイだが、その音が読む者の耳にも届くかのようである。
私は、コーヒーも列車も橋も好きである。だからか、それにまつわるエッセイが心に残るものだと、気持が満ち足りてくる。

☆食と音楽
コーヒーは推理小説や、音楽とよく合う。曲で一番有名なのは「Black Cofee」は多くの実力派歌手が歌っている。その中で私が持っているCDにペギー・リーやジュリー・ロンドンがあったので、聞き直してみた。ここでもやはりコーヒーは熱い。ただ、今はブラックコーヒーそのものがあまり流行らくなった。現代なら、キリマンとか、ブルマンの産地別が主役だが、そんな音楽はあまり耳にしたことがない。残念だ。

ペギー・リー「Black Cofee」
https://www.youtube.com/watch?v=GVnrEh56f_g

 コーヒー音楽の初めはバッハの「COFFEE CANTATA」であろう。ドイツ・ライプツィヒのコーヒーハウス「ツィンマーマン」での初演だ。コーヒーがドイツに入ってきたのは1670~80年ごろ、以来ドイツ人はコーヒーが大好きになったらしく、当時ライプツィヒにはコーヒーハウスが8軒あったらしい。だからだろうか、紙ドリップはドイツのメリタ・ベンツが1908年に発明し、今や世界中の人が使っている。

バッハ「コーヒーカンタータ」
https://www.youtube.com/watch?v=mJgLTAiHtJ0

 ところで、上の動画で、「コーヒーカンタータ」のピアノ伴奏をしている清塚信也という人は、よく「食と音楽」を紹介している。
コロナ騒ぎが収束したら、赤尾吉一さんと佐藤悦子さんが《白トリフパスタ》をご披露されることになっているから、そのときにまた「食と音楽」についてお話しよう。

〔文・挿絵 ☆ 江戸ソバリ協会 ほしひかる