第637話《 誕 生 食 》

     

筍ご飯と、豆ご飯

☆季節が巡る
4月には桜が満開し、それが桜吹雪となって川面に積るころから若緑の葉が顔を出す。江戸ソバリエの海岸昌子さんが画いた桜は、加山又造の絵のように妖艶で、印象深かった。
桜が終われば公園や道沿いに躑躅の花が咲いてくる。気がつくと爽やかな5月、立ち止まって躑躅をよく観れば花弁は5枚、そのうちの1枚は彪柄になっている。何本もある花芯の頭はみんなその彪柄の花弁に向かっているところが面白い。柄の役割は、虫に「ここに蜜があるよ」と教えているのだという。そこで、虫が飛んで来ると、花芯も傾いて接しているので、虫によって効率よく受粉できるのだという。嘘みたいによくできている。ここが自然界の凄いところである。ところが、この彪柄は赤とピンクにはあるが、白い躑躅にはない。じゃ、白い躑躅の受粉はと心配になるが、とにかく不思議なことである。ちなみに、「躑躅 テキチョク」という字は足を止めて見るほど美しいという意味からきている。
5月半ばすぎると躑躅は去り、紫陽花が咲きにくる。「あじさい」は日本原産だから大和言葉だ。後に「紫陽花」の漢字があてられた。酸性土壌なら青い花、アルカリ性ならば赤い花になるが、「紫陽花」には漢字どうり青系統の花が雨の季節には合っている。
桜、躑躅、紫陽花を見ていると、社会はコロナ禍に襲われていても季節はきちん廻るものだとあらためて感心する。

☆5月の誕生食
ところで、5月は私の誕生月。ちょうどそら豆が旬だから、子供のころは亡き母が筍ご飯や豆ご飯を作ってくれた。その慣習が今も続いて、この年齢になっても5月には筍やそら豆を使った料理を食べている。いわば私の《誕生食》である。
その食事をさらに楽しむため、下手ながら竹や筍やそら豆の絵を描いたりすることがある。
竹は節を描けばそれらしくなる。そら豆の鞘を割ると、豆がふわふわの綿に包まれている。このふわふわの綿を描きたいと思ったけど難しい。

☆竹から生まれた、かぐや姫
竹というのは、春から夏には水分を含んでいるが、秋から冬の竹は水分が枯れている。だから竹細工にするのは水分のない季節の竹が使われる、とは竹笊屋の話である。
そういえば、子供のころ、5. 6月に降った雨の翌日、竹を切ると節に雨水が溜まっていた。それを江戸時代までは「竹精」または「神水」といって薬のように重宝したと聞いたことがある。
そのような竹の性質から生まれたファンタジー小説が『竹取物語』である。
話の概略はこうである。生まれたときはわずか3寸だった姫が、3ケ月で生長して輝くばかりの美女になった。それが3年経った仲秋(旧暦8月15日)の日に月へ帰ってしまう。そこがファタジーで格調がある。
ところで、かくや姫のバーステーは?と考えてみたところ、この「3」の数字にかぐや姫の誕生日が暗示されているようだ。すなわち旧暦8月15日の3ケ月前の旧暦5月15日が誕生日だったのではないだろうか、と。だとすれば、かぐや姫とは「竹精」の生まれ変わりであり、竹の水分が切れる仲秋に月世界へ還ってゆくのは当然だ。となると、まさに自然と宇宙の摂理に沿った壮大な物語ではないか。

☆竹取物語の読み方
ところで、『竹取物語』をなぜ今ここでとり上げたかというと、この小説の裏面は時の政府を皮肉った物語だといわれているからである。
ご承知のように、かぐや姫に5人の貴人と帝が求婚した。
そのモデルは多治比嶋、大伴御行、阿倍御主人、石上麻呂、藤原不比等、そして文武天皇だとされている。いずれも天武朝政府の重鎮である。それが皆そろって求婚テストにおけるごまかしがバレて失敗。とくに藤原不比等にいたってはかなりの文字数を割いて彼の大恥ぶりを紹介してある。これが後に藤原時代の礎を作った男の実像だと暴露しているわけである。
『竹取物語』は表向き夢とロマンと上品さに満ちているが、隠し味として権力批判を加味しているからこそ、名作になった。
その点、先にご紹介した『平家物語』も構図は同じである。「奢れる者は久しからず」。これが日本の文学の隠し味である。

〔文・絵 ☆ エッセイスト ほしひかる

躑躅の写真:光線で白く写っている方がピンクの躑躅です。