第647話 「ソバの茎はなぜ赤い?」考
ソバの茎はやや赤みかがっているが、それはポリフェノールの一種のアントシアニンの色。そこから、「ソバの茎はなぜ赤い?」という民話がたくさん生まれた。たとえば、私の故郷は佐賀県鳥栖市では「山姥とそばの根の話」という民話として伝えられている。
~ 留守番をしていた子の家に「お母さんだよ。戸を開けておくれ」と人喰い山姥が迫ってきます。子供たちは逃げて、金の鎖を登って天に行きます。山姥も真似ようとしますが、腐れた綱だったので地上のソバ畑へ真っ逆さま。ソバの茎は山姥の血で赤く染まりました。~
佐賀県内では、鳥栖市や神崎郡三瀬村、伊万里市二里町などの三か所で確認されている。
他県では、福岡県志免町、熊本県、大分県日田市、宮崎県、広島県、岡山県和気町、千葉県九十九里、福島県会津地方、長岡市西蔵王町などで確認されているが、いずれもほとんど同じ話。
話に登場する山姥とは、民俗学では山の民あるいは焼畑民族に伝わる山の神みたいな怪人である。また焼畑農法というのは、縄文から江戸時代まで続いていたが、明治から段々消滅し、今はほとんどない。
対馬に行ったとき、「最近、昔の焼畑農法で蕎麦を栽培している。対馬では焼畑のことを木庭 コバという」と聞かされ、「佐賀と同じ言葉だ」と思ったので、寺方蕎麦研究会でもご報告したことがある。
http://www.edosobalier-kyokai.jp/pdf/tsusima_hoshi.pdf
そもそも鳥栖という所は江戸時代は対馬藩の飛び地であったから、対馬の蕎麦が伝わったのもしぜんであろうし、鳥栖市と同圏内の神崎辺りでは焼畑を「切野」ともいうが、関西の「切畑」へと繋がる言葉であろうか。また伊万里には「木場」という地名が今もある。
そこで「焼畑」の言葉について調べてみると、九州(佐賀、長崎、熊本、鹿児島など)では「木場・古場 コバ」と呼び、関西(大坂、京都、和歌山、三重など)では「切畑」、関東では「狩野・鹿野など」、中部(富山、岐阜)では「夏焼」とも呼んでいたため、今でも地名として遺っているらしい。本州の「切畑」「狩野」「夏焼」などは現在の日本語として意味が通じるが、九州の「コバ」とは何という意味だろうか? 北部九州には朝鮮半島の言葉が混じっているが、それだろうか?
と思っているとき、小林尚人さんが寺方蕎麦研究会の場で朝鮮民話を配布された。読むと、鳥栖民話の内容と同じである。もちろん焼畑農法も、朝鮮半島から対馬→北部九州へと伝わって来た。彼らは「火田民」と呼ばれている。中国でも「火田」というが、これが畑の字の語源である。
とすると、ソバが中国大陸→朝鮮半島→対馬→北部九州→日本全土へ広がったというソバロードの、民話版ということになるだろう。
そもそもがソバの生産量は、戦後以前までは西高東低の傾向であった。また私が調べた年越蕎麦の慣習もやはり西高東低であった(和食文化国民会議で発表)こととも合致するというわけである。
話はちがうが、宇野千代は28歳のときに「赤い蕎麦」という童話を書いている。内容からみて、上記の民話から材をとったものと思われる。宇野千代は岩国出身である。幼いころこんな話を耳にしていたのだろうか。
さらに私も、これを材に小説を書いて、平成16年9月号の『日本そば新聞』に掲載した。
それにしても、この民話の意味するところは何だろうか?
知恵を使えば天に上り、迂闊をすれば地に堕ちるでは単純すぎる。
吉本隆明流の『共同幻想論』にしたがえば、たぶん山の民としての共同認識だったのだろう。今となってはもう理解不能である。
ただ現代日本人には日本人としての共同認識するものが何もないのが悲しい。
追記:冒頭に「なぜ赤い」の民話がたくさん生まれたと述べたが、この山の民話とはまったくちがった内容の弘法大師の逸話が、西日本には残っている。それはまた別の機会に。
参考:第488話
〔文 ☆ エッセイスト ほしひかる〕