第651話 《天麩羅蕎麦》の日本橋
2020/09/07
~ こういうときこそ蕎麦屋巡り ~
今日は日本橋人形町《蕎ノ字》で第26回目の朝日カルチャーの蕎麦会を開催した。選んだのは朝日カルチャーの担当の人だが、私は日本橋そばの会のソバリエさんとお邪魔したことがある。
お江戸日本橋は江戸蕎麦発祥の地ともいえるから、江戸ソバリエにとっては大事な地区だ。だから、これまでも講演会や記事掲載などにも積極的に応援してきた。
今日の会でも日本橋と蕎麦についてお話した。
当店は天麩羅が美味しい店として知られているが、そもそも天麩羅屋というものが、1772~81ごろ、隅田川と箱崎川の三角州の、屋台見世(移動しない)で始まった。今でいえば日本橋箱崎町だ。
《天麩羅》というのは江戸前の穴子・芝海老・小肌・貝柱など魚類を小麦粉をゆるく溶いて衣にして油で揚げたもの。この衣を付けるようになったのは江戸が最初であるが、誰が始めたかはわからない。当初は《胡麻揚》ともいった。面白いのは、大根卸しはこのころから添えられていた。
それから、1801~04年ごろ日本橋南詰の吉兵衛が高級食材天麩羅店を開いた。今でいえば布団の「西川」辺りだろうか。
その南詰に天麩羅屋と蕎麦屋が並んでいたところ、《かけ蕎麦》に天麩羅をのせた客がいた。それが《天麩羅蕎麦》の初めである。1827年ごろのことらしい。だから、日本橋南詰《天麩羅蕎麦》発祥の地ということになる。
その後、幕末のころに福井扇夫という職人がお座敷天麩羅という商売を始め、明治に盛んになった。これが高級天麩羅屋の始まりである。
というような話をしながら、カウンターに出された天麩羅を味わった。カウンター席の蕎麦屋というのは珍しいが、それだけ当店は天麩羅に力を入れているということだろう。暖簾にも「天ぷら食って 蕎麦で〆る」とその思いが書かれているほどだ。
先ずは出汁入り蕎麦湯、これは旨い。涼製の蕎麦粥。それから天麩羅が続く。オクラ。車海老。車海老の頭、カリカリに揚げて直接天つゆに入れてくれるから、音まで味わえる。鱚、ふわっとした噛み心地がうまい。太刀魚。折戸茄子、生と天麩羅の二つを比べる。茗荷。天竜若鮎。蛤、蛤の天麩羅は初めてであった。とうもろこし。桜海老搔揚げ。
この店の天麩羅はだいたい二つに切って、供される。付けないで、天つゆで、塩でと食べ比べられるようにだ。
締めは《川根在来》の細切り。川根という在来の原始的な味わいと細切りという繊細さが上手く調和していて、私のお気に入り蕎麦のひとつになった。
ところで、店主は茗荷の天麩羅を揚げながら言った。「浜松出身なので静岡産の食材を多く使っていますが、せっかく人形町でやっているので江戸野菜もやってみたいと思って、探してみましたがなかなかタイミングよく手に入らないのです」。
というわけで私が「紹介しましょうか」と申上げたら、「お願いします」となったので、「じゃ、江戸野菜専門の野菜屋さんを紹介ます」と約束した。
後日、八百屋さんから「取引することになった」という連絡があったが、若い店主が一本道を行こおうとする姿勢が爽やかに感じた。
〔文 ☆ 朝日カルチャー講師 ほしひかる〕