第660話 「粋な人」について

      2020/10/01  

~ 『世界蕎麦文学全集』物語2 ~

  銀座の「小松庵」でソバリエのMSさんと食事をした。
    MSさんと私の性格はおそらく正反対だと思う。なのになぜか気持が通じ合うところがある。と思っているのは私の方だけかもしれないが・・・。とにかく性格が違うので、意見が合うようなことは少ない。しかし気持が通じているので話や意見を素直に受け入れることができるし、またそのことによって私の考えにプラスに作用することがこれまでに多々あった。
   この日も、久しぶりだったのであれやこれやと話をした。その中でこのシリーズの前話のことになり、「これまで〝粋〟だなと思った人はせいぜい1人ぐらいしかいないね」ということになった。
   私の場合は、ある蕎麦屋で見かけた、和服姿の40代後半の女性だった。その人は文庫本を読みながら、《板わさ》と《焼海苔》を摘まみにして手酌で盃を傾けておられた。お銚子が空になると注文した《ざる蕎麦》をスルスルと手繰り、蕎麦湯を飲んで帰って行った。
  一緒に居た幹書房の社長と私は、感心して顔を見合わせたものだった。これが私が出会った粋な人であったが、MSさんも同じような遭遇が浅草「大黒屋」であったらしい。
  とにかく、粋という言葉は流通していても粋な人というのはめったにいない。とくに現代では皆無ではないかということになった。

 さらに振り返ってみても、今まで目を通した江戸時代の史料の中で、蕎麦を粋に食べているような話は見かけたことがない。
   やっと見られるのが明治14年河竹黙阿弥代目尾上菊五郎のために書いた『天衣粉上野初花』(または『雪暮夜入谷畔道』ともいう)である。ただ脚本を確認したが、雰囲気はあるが、粋に食べる具体的な記述はなかった。
   粋な食べ方ということが評判になったのはその歌舞伎の公演からである。どういう内容かというと、主役は片岡直次郎という御家人の坊ちゃん、それがワルになって、今やお尋者。そいつが寒い寒い雪の夜に、入谷の蕎麦屋で蕎麦を食う。このシーンが当たった。というのも、主人公は今でこそ落ちぶれてはいるが元は侍だった、というところに滅びの美学というか、男の美学といったものが見えた。だから蕎麦の食べ方も粋に喰わせたい、と演出家は思ったのだろう。先ず、ワキ役にわざとモソモソと下手に食べさせ、そのあとに直次郎がカッコよくつるつると蕎麦を啜らせた。これが大評判になったらしい。
   なぜなら、そこに下品ぎりぎり(お尋者)にもかかわらず食べ方に上品さ(坊ちゃん)が垣間見られたからである。

 もちろん江戸時代に粋な食べ方ということがなかったわけではないだろうが、われわれ日本人が粋を認識したのは河竹黙阿弥からであり、それが九鬼周造の『「いき」の構造』に結晶したのであろう。

   ただ残念ながら、私は歌舞伎の方をまだ観ていない。関心をもってから15年、その機会に恵まれず夢の歌舞伎となっているので、《かけ蕎麦》を前にした菊五郎の粋な姿の写真だけを眺めてこれを書いているところである。

追記
   実は、この『世界蕎麦文学全集』は蕎麦に関する本を単に思い出したときにだけ紹介していこうかと思っていた。だが、先のような「粋な人というのはめったにいない」みたいな話になったとき、それらを織り交ぜたエッセイ風の『世界蕎麦文学全集』を続化してみようかと思ったわけである。ここでもMSさんが私の行く道に光を与えてくれたことになった。

 

【世界蕎麦文学全集】
4.河竹黙阿弥作天衣粉上野初花』(または『雪暮夜入谷畔道』ともいう)
   なお、これは松林伯圓講演の『河内山宗俊』(八千代文庫46編大川書店)をヒントに河竹が創作したもの。

 文 ☆ 江戸ソバリエ認定委員長 ほしひかる