第679話 婚礼の日のカーシャ
『世界蕎麦文学全集』物語 21
ロシアの《カーシャ》は前の678話でもお分かりのように庶民の食べ物であったが、そればかりか特別な日にも《カーシャ》は供されていた食べ物だったことを今回はご紹介しよう。
13世紀のロシアにノヴゴロド公アレクサンドル・ネフスキー(1220~63)という英雄がいた。(ノヴゴロド公国=現:ノヴゴロド州)
どんな英雄かというと、映画『アレクサンドル・ネフスキー』ではこう描いてある。
~ 1240年、ロシアは東からタタールに侵略され、西からゲルマンの侵入が続いていた。プスコフ(現:プスコフ州)の町がゲルマンの騎士団に占領され、危機が迫った商業都市ノヴゴロドの民衆は、かつてネヴァ河でスウェーデン軍を撃退したアレクサンドル・ネフスキー公を迎えて、騎士団に立ち向かうことを決めた。
ネフスキー公は義勇軍を編成し、かつて共に戦った戦士のブスライとオレクシチと共に戦場へ向った。ネフスキー公は地形を熟知しているチュード湖(ロシアとエストニアの国境にうある湖)で敵を迎え撃つことにした。凍結した湖上の中央突破をもくろむ敵の騎士団はブスライ隊に突進してきたが、左翼からオレクシチ部隊が、右翼からネフスキー隊が突入し、さらに農民軍が敵を背後から襲った。白い氷上に剣と槍と楯が火花を散らす。敵はついに、氷の薄い湖面に吸いこまれるように沈んでいった。
そして勝利に湧くノヴゴロドにネフスキー軍が凱旋し、ブズライとオレクシチの二人の勇士の結婚式が行われた。~
また、14世紀のロシアには、モスクワ大公ドミートリー・ドンスコイ(1350~89)という英雄がいた。
~ 当時ロシアはモンゴルに征服され苦しんでいた。1380年、ドモスクワ大公ドミートリーの率いるルーシ諸侯連合軍が、チンギス・ハンの長男ジョチの後裔の遊牧政権ジョチ・ウルスのマママイ軍とそれに同盟したリトアニア大公国やルーシ諸侯などの連合軍を破った。これをクリコーヴォの戦いという。(ルーシ:キエフ大公国を祖国とする現代のウクライナ・ベラルーシ・ロシアの別称)~
今も、ロシアがEUとギクシャクしているのは、こうした歴史のせいであることが英雄伝説からもうかがえる。
それはともかくとして、肝腎の《カーシャ》について、沼田充義・恭子共著の『ロシア』には、この二人の英雄の婚礼のときそれが重要な役割を果たしていることを紹介してある。すなわち、新郎と新婦の家の格が高い方が《カーシャ》を作るという慣習があったというのである。
そこで、1239年にノヴゴロド公アレクサンドルとボロック公の娘アレクサンドラ・ブリャチスラヴナが結婚するとき、両家の格が拮抗していたため、花嫁の住むトロペツ(現:トヴェリ州)で《カーシャ》を作り、次に花婿が住むノヴゴロドで作って引き分けにしたという。
また、モスクワ大公ドミートリー・ドンスコイと、エフドキヤ・ドミトリエヴナと結婚するときもそうだった。新郎のモスクワと新婦のニジニ・ノヴゴロド(現:ニジニ・ノヴゴロド州)の真ん中のコロムナ(現:モスクワ州)で《カーシャ》を煮たという。
これでロシア編は一旦終了するが、ロシアの蕎麦文化を調べてみようと思ったのは一年前の2019年の12月中旬、ちょうど今ごろだったがロシアの旅行社から江戸ソバリエ協会に対して蕎麦講座の開講の依頼があった。話はレストランのシェフ10名ぐらいの和食(蕎麦・鮨・天麩羅)の勉強会ツアーを企画している。ついては蕎麦の講座を担当してほしい。内容は当協会が行っている「手学・耳学」講座を希望しているとのこと。さらには修業したい者が出れば、それも受け入れてほしいというものだったので、総本家小松庵の協力を得て、受けることにした。
それにしてもロシアは世界一の蕎麦生産国である。プロデューサーとしてはロシアの蕎麦文化を勉強しておかねばなるまいと思ってパラパラとそれらしい資料を斜め読みして得たことが、前話と今話の《カーシャ》の話である。その間にロシア美人のシュストワ・スターシャさんとお会いしたりして今春の実施を決めたころ、新型コロナ禍が襲ってきた。最初は誰もがそう思っていたように春か夏には解決するのでぱないかと思っていたがあまかった。今もご承知の通りの現況である。当然、国境なき講座は中止となった。残念である。
『世界蕎麦文学全集』
46.沼田充義・沼田恭子『ロシア』
* 映画『アレクサンドル・ネフスキー』
文 江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる
写真(蕎麦カーシャ):ネットより