第687話 献立表の春

      2021/01/13  

『世界蕎麦文学全集』物語 29

 NYマンハッタンのユニオン・スクウエアからイースト18thストリートを行くと、角にレストランPetes-Tavernがある。あのO・ヘンリー(1862~1910)が通ったというほどの老舗である。
  店内に入ると、入口の右脇二番目のボックスでヘンリーが『賢者の贈り物』を書いたというプレートが付けてある。いい題名だ。名作『最後の一葉』なんかはよく童話として紹介されている。
  O・ヘンリーの作品はどれをとっても、出だしと結末が巧妙で、かつウイットとペーソスが織り交じっているので、「O・ヘンリー型」ともいうべき短編小説の形を生み出した。その源泉は街を歩いて多くの人の話を聞いたり、自分が体験したことによる。だから血が通っている作品になるのだろう。
  さて、そんなヘンリーが、シェイクスピアの「この世は牡蠣なり。剣もてそれをこじ開けむ」を引用して、人生という牡蠣をタイプライターでこじ開けた女性の話を進める。
  主人公のセアラは、ニューヨークのレストランの献立表をタイプで打って作るのが仕事。《玉葱料理》、《牡蠣料理》、《蕎麦粉のパンケーキ》・・・。
   前の683話ではジョン・ランチェスターは献立表(メニュー)について難しいことを述べていたが、ヘンリーは「この献立表のおかげで常連客たちは、自分が食べている物が何という名前の料理がはっきりわかるようになった。」と分かりやすく説明している。そういえば、〝天皇の料理番〟といわれた秋山徳蔵(1888~1904)は「献立表は、日本では和食は漢字で、中国料理は中国語で、フランス料理はフランス語か英語で書くのが慣習であると述べている。そこが子供でも分かるようにひらがなで書かれているお品書きとは違う点である。ちなみに水上勉(1919~2004)は「お品書きとは、古い料理屋などで、カウンターの頭上に障子紙のようなものが貼られ、その日の料理品目を主人が墨書きして表示しているものである」とちゃんと説明してくれている。

 さて、この話には重要なことが伏せられていることに気がつく。
  『長い冬』のアルマンゾが焼いた《蕎麦粉のホットケーキ》、『風と共に去りぬ』のオハラ家の女中が焼いた《蕎麦粉のホットケーキ》、そしてフォスターのスザンナが食べた《蕎麦粉のホットケーキ》は〝家庭料理〟であったが、ヘンリーが書いたレストランの《蕎麦粉のホットケーキ》は〝商品料理〟である。
  681話や683話で見たようにフランスに外食用のレストランが初めて登場したのは18世紀である。19世紀になるとアメリカにもレストランが開業したと思われるが、アメリカ最古のレストランはマサチューセッツ州のボストンで1826オープンしたUnion Oyster Houseだというから、1864年創業のニューヨーク「ピーツ・タバーン」もアメリカ・レスラン界の草分け的存在である。
   そんな時代背景のなかで働く彼女は、ある田舎に行ったとき農場の若者ウォルターと恋をした。
 でもニューヨークに戻っても、彼はなかなか手紙をくれない。
 セアラは泣きながら、タイプで献立表を作る仕事を続けた。
 ある日、ウォルターがひょっこりセアラを訪ねて来た。「いや~、都会は大変だ、ずいぶん君を探して歩きまわったよ。疲れて偶然レストランに入ったら、こんな献立表があったヨ」と見せてくれた。
  「・・・茹で卵付き、いとしのウォルター
  献立表のおかげで、ついに彼女に春がきたというわけである。

 

『世界蕎麦文学全集』
54.O・ヘンリー『献立表の春』(Springtime a la Care)
*水上勉『精進百選』

 

文:江戸ソバリエ認定委員長 ほし☆ひかる
「ピーツ・ターバン」にて:撮影江戸ソバリエ山岸さん
「ピーツ・ターバン」のメニュー表
フランス語御献立表:深大寺第88世晋山披露宴
中国語御献立表:東麺協創立100周年記念式典
漢字御献立表:料亭 洲さき
ひらがなのお品書き:大塚小倉庵